論 考

流されっぱなしの岸田氏

 宮沢喜一氏(1919~2007)が、自民党内の極右思想の人々をなだめすかすのに非常に苦労したと回顧した。氏は宏池会の、岸田氏の先輩である。

 いかにもリベラル、ハト派の弁のようだが、客観的にもその指摘はよくわかる。

 愛国心は、右翼の専売特許ではない。いわば見栄的愛国心と本音の愛国心がある。前者は白いマフラーをたなびかせて特攻機に出かけるのをかっこいいと思う手合い。後者は、いかに人々の生活の安寧を継続していくかで、派手さはない。

 宮沢氏は後者である。安全保障環境が危ないと大声疾呼する風潮が支配的になると、声高な連中が増える。冷静に、事の次第を熟慮して語る人は多くない。

 宮沢氏がもっとも懸念したのは、ただいまのような理性抜きの感情的議論が支配することだったであろう。

 非力の岸田氏には、宮沢氏のような政治的見識がほとんどない。だから、かりに気持ちは宏池会的なのかもしれないが、率先して流される。お粗末だ。

 戦争を知らない世代の義務は、体験しなかった分、勉強して想像して、二度と同じ過ちを犯さないように努力を重ねることであるが、岸田氏の発言には、それらしい片鱗すらない。

 派閥の員数ではない。政治的見識を確固として握っているか否か。

 大局的に見ると、安保政策の大転換というような看板ではなくて、日本の政治をますます混迷・混沌・混乱へ放り込んでしまった。

 1人の国民として、わたしは強い危惧と反対を表明する。