国家といえばご大層に聞こえるが、重大な問題について決定する場合、必ず国民投票をおこなうわけでもない。
民主主義では三権分立が常識で、立法がもっとも尊重されるはずである。しかし、現実には行政がもっとも大きな力を駆使する。
行政の意思決定は、内閣と与党がおこなうが、蚊帳の外から見るところ、それはきわめて少ない人々の舵取りの範囲に限っている。
政治もPDCのサイクルが当然であるが、C=検証らしきものはほとんどない。さまざまな監査機能があっても、有効に作用していない。だから、一握りの連中が政治を動かすことを許している。
議会における野党の任務は、おこなった政治や、進行中の政治について、その全貌を人々に見えるようにして、注文をつけるべきはきっちり注文する。野党の批判とは、行政が的確妥当な動きをしているかどうか、について監督する力を発揮しなければならない。
わが政治がつまらない。行政の行動について、考える尺度がしっかり提示されないために、人々にすれば、なにが大事で、なにが欠落しているのか、ぼんやりしているからである。
野党は、どうしても露出度が低いから、目立ちたいのが本音だ。だからといって、「うちの提案が通りました」というような活動にのめり込むと、形は野党でも役立たず野党になる。そこからの帰結は、ただ、選挙で当選すればよい、党勢拡大すればよいという志の低い話になる。
国民民主党が野党か・否かという話題が出ている。大事な視点は、働く人をどのように定義するか。働く人が前を向いて心地よく生きられるようにするには、どうするか。立憲民主も、国民民主も、この核心に迫る訴えがほしい。