論 考

どんぐりころころ政治

 岸田提唱「新しい資本主義」は、総裁選当時から大風呂敷だと批判してきたが、ここまでに打ち出された政策が、それを証明している。

 産業革命で本格的に登場した資本主義は、当初、あまりにも自由放任であったから働く国民大衆の猛烈な抵抗をうけて、社会や政治による自由放任を統制する動きが活発化した。経済成長が思わしくなくなると、自由放任方向へ傾斜させる動きが盛んになる。

 いわば、資本主義はブレーキとアクセルを交互に作用させる形でやってきた。かつて、経済は実物経済そのもので、金融は潤滑材的な位置にあったが、こんにちにおいては、金融経済が実物経済を大きく上回っている。おカネが国民生活へ円滑に回らなければ経済が盛んになるわけがない。

 「新しい資本主義」を掲げた意欲を買うにしても、関係部門で、そのような議論がなされている気配すらない。日本には、経済学者・研究者がたくさんおられる。岸田氏が本当に問題を直視しているのであれば、この力を引き出すことも政策として打ち出すべきだ。

 ひょいちょいと小手先で集めた委員会が、看板にふさわしい知恵を出せるわけがない。いわば、官僚システムの手中で踊るだけだ。

 政治のことは、まことに予想が外れない。一方、期待はいつでも大きく外れる。戦後日本政治の見えざる習慣が支配しているからだ。ネーミングだけに知恵を絞った政治が幅を利かせるかぎり、日本政治は沈滞を続けるのみである。まだ、議会は本格的な論議をおこなっていないが、10万円に騒動し、文書通信費に騒動する程度では、いやはや、なんとも仕方がない。

 政治家は、社会の未来を描くパワーと構想力を身に着けてほしい。