今朝の社説は、朝日・読売・毎日・東京のいずれも昨日の衆議院代表質問について、国会論議を実のあるようにすべしということに集約できる。ただし、いずれも表面的で実のある論議の意味が提起されていない。そこで、一言。
実のある論議とは、まず、AとBの意見が噛み合うことだ。めざすところは、AかBかのパネルではなく、双方がよりよい結論Cに達するように、心がけねばならない。もちろん、議論の結果、AがBを、BがAを支持することもあろう。それも質的にはCと同じである。
弁証法的議論を実らせるためには、ABそれぞれが、「なぜ」、それぞれの提案をするのかを証明せねばならない。従来、国会論議で、「なぜ」が語られることはほとんどない。Howの前に、Whyこそが大切である。
Whyを省略し、Howばかりが衝突するから、「A,B⇒C」が成り立たない。他人に、聞く耳を持てとか、提案力を磨けとか、表面的な注文をしてもさして意味はない。
昔から、日本人は「なぜ・Why」が下手くそである。