論 考

歴史は繰り返す自民党

 首相就任前の宮沢喜一氏(首相在任1991~1993)は、新聞記者意識調査では、つねに断然トップであった。政治家にもっとも接している記者の評価であるし、当時の政治家では、もっともキャリアがあると見られていた。

 首相就任してからの評価は、優柔不断、指導力がないなど、それまでの評価と比べると反転して、極端に評価が下がった。わたしの印象では、暗愚の宰相とこき下ろされた鈴木善幸氏(同1980~1982)と同列になった感じだった。

 宮沢氏は、宏池会の池田勇人氏(同1960~1964)を、大平正芳氏(同1978~1980)とともに支えたところから頭角を現した。戦後の政治家人生を回顧して、「党内の戦前保守政治家の強硬な意見を抑えるのに苦労した」と語った。

 宏池会がお公家集団と揶揄されて久しく、最近はそんな言葉も知る人が少なくなったくらいである。

 そこで久々に宏池会から岸田氏が首相に就任した。所信表明に対する代表質問を聞いていると、総裁選挙での岸田氏らしさがほとんど見られない。

 昨日は、自民党の選挙公約が発表されたが、政調会長の高市氏の総裁選公約みたいである。高市氏は、かつて宮沢氏が苦労させられた、国粋主義(わたしは厳密には国粋ではないと思うが、ここではそれについては述べない)の連中の流れにある。

 歴史は繰り返す――というのは、同じ失敗を繰り返すのは愚鈍だという意味であるが、自民党は、宮沢氏が指摘したことが、そのまま露見している。岸田氏が、ここからいかに党内を変えていくか。

 1つのカギは総選挙にある。勝ちすぎると、国粋連中が調子に乗る。負けすぎると岸田内閣一巻の終わりが目前に迫る。与野党ほどほどの結果になってほしいというのが岸田氏の気持ちではなかろうか。これが、なかなか難しい。

 勝負所は、野党がいかに効果的連携作戦を成功させるか。そして、岸田内閣の命運ではなく、日本の政治が真っ当な道筋に戻るかどうか。清き1票の真価が問われる。