週刊RO通信

大坂選手に見る英雄の片鱗

NO.1410

 昨今、ATPやWTAのプロテニス界は、剣闘士劇場(Gladiator theater)とも呼ばれるらしい。半世紀前わたしが在籍した会社には、日本人初のデビスカップ出場や、ウインブルドン大会(1961~1966)に連続出場した石黒修氏(1975プロ転向)が在職中で、全社的にも職場テニスが大流行していた。

 70年ごろ、甲南大学だったか、学生テニスの練習を覗いて驚いた。わたしもソフトテニスから転向したので最初はラケットを大振りしたが、学生さんたちは力任せに振り回して、ラリーが続くどころか、ボールをかっ飛ばしている。仲間と、ゲームにならないじゃないかと顔を見合わせた。

 75年にコナーズ、翌年マッケンローが大々的に登場し、なるほど、学生さんたちは、このような新しい流れを知って練習していたらしいと気づいた。テニスは紳士淑女のスポーツである。ゲームだから負けてばかりでは面白くないが、勝つことだけを追求するような気風は嫌われた。いわく品位と優雅なスポーツである。それが強打スタイルへと変わった時代であった。

 当時、国立競技場で世界の女子トップクラスの室内大会を見た。男子の強打テニスとはちがって、華麗なプレーに観衆がうっとりしていた。1960年代から20年余、女子テニス界で輝いたのはキング女史だった。男女同権運動の一翼を担い、社会的発信も際立っていた。キング女史の活躍から、やがてWTAが発足することになる。

 大坂選手がグランド・スラムの全仏オープンで、試合後の記者会見を拒否し、棄権した一連の流れを見て、最初に思い出したのは、キング女史のさっそうとした雄姿である。業界の発展のみならず、社会的発言をした。男子選手からの挑戦をうけてゲームをおこない勝利したのも忘れられない。

 剣闘士劇場というメタファーはそれなりに意味がある。いまや、男女とも格闘技的である。テニスは無差別級だから体力勝負の面もあるが、威力のある球を打ち、打ち返す。腕のみならず全身に猛烈な衝撃がある。技だけでなく、球威の猛烈な衝撃に耐えて気力体力を維持し、世界ツァーで活躍するのは、スポーツにおける芸術のレベルだ。大坂選手の発言と行動は、ショービジネスではない。アーチストである、という自負と誇りを感じさせた。

 もう1つ、想起したのは喜劇王と称賛されたチャップリン(1889~1977)である。ハリウッド映画が、サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、さらに超ワイドへと進んでいく流れにあって、とことん、サイレントとパントマイムにこだわった。自分のアートを真剣・真摯に追求した。

 なるほど、パントマイムは異言語をものともしない、世界共通語である。喜劇かと思えば泣かせ、泣きつつも身内に力が湧いてくる。チャップリンは自分の仕事に対する絶対の確信と、人々に訴えかける本気を最後まで失わなかった。しかし、決定的に名声のてっぺんに在り続けながら、名もなきファンの警告に対してつねに心を揺らし続けた繊細な人でもあった。

 大坂選手が記者会見ボイコットを表明した直後、WTAは、「選手は、競技とファンに対して責任を有する」とコメントした。もちろん、その通りだ。しかし、選手の本懐はコートにおける芸術である。記者会見は大切なファンへのサービスであるが、それがメインではない。作家が小説を書く、画家が絵画を描く。どういうつもりで書き描いたかではない。作品こそが人々へのアピールである。競技・小説・絵画、すべて作物こそが作者の本懐である。

 ファンへのサービスをしたくても、すべてを燃焼し尽くした後の選手の手元に残るのは、徹底した充実が放散した後の「空っぽ」の心であろう。

 選手が本気で、全身全霊を打ち込むからこそ、観衆も満足できるのであって、極端にいえば勝敗などは問題ではない。勝者も敗者も、持てる力をすべて出し切るところに、スポーツ競技の醍醐味があり、観衆もまた、ごひいきか否か、そんなことは核心的問題ではないはずである。

 テニスのタフなプレーヤーが、鉄壁の精神を持つ人間ではない。そこらの政治家の鉄壁の精神がタフな政治をやらないのを見ればわかる。まあ、これは、嫌味である。大坂選手は、堂々と差別反対の主張をし、堂々と精神的辛さを表明した。人間としての弱さを率直に表明することによって大阪選手は、テニス界のみならず、人間精神の在り方を示した。拍手を送る。