週刊RO通信

菅内閣は「玉砕」するか?

NO.1407

 5月11日の朝日・読売・日経3紙に、宝島社の見開き広告が掲載された。右上隅に緊急事態とあり、戦時中の軍事教練で女子小学生がマナジリを決して竹棒(竹槍かナギナタのつもり)を構えている写真をあしらい、紙面真ん中にはCOVID-19が赤色で幅を利かせている。

 書かれている文章は、次の通りである。初号活字で「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」2号活字で「私たちは騙されている。この一年は、いったい何だったのか。いつまで自粛をすればいいのか。我慢大会は、もう終わりにして欲しい。ごちゃごちゃ言い分けするな。無理を強いるだけで、なにひとつ変わらないではないか。今こそ、怒りの声をあげるべきだ。」SNSでも評判で、共感の声が多い一方、時代錯誤だという批判もあるという。

 竹槍主義教練や、効き目がない焼夷弾消火訓練が全盛の1944年2月23日、毎日新聞が「勝利か滅亡か」という記事を掲載した。戦前の毎日新聞は、31年の満州事変で、「満蒙は日本の生命線」論をぶち上げ、御用新聞ジンゴイムズの先頭を走っていた。要旨は、――太平洋の攻防は数千海里彼方にある基地を巡って戦っている。本土沿岸に敵が侵攻してくれば万事休すである。竹槍ではまにあわぬ、飛行機(が必要)だ――というものだ。

 その日の15時ごろ、記事を読んだ東条英機首相が、「沿岸に敵がくれば万事休すとは何事か! 東京が焦土と化しても、日本国民はあくまで敵を滅ぼすために戦うのだ」と怒った。あわてて情報局が発禁にして、「誰が書いたか」と詰問した。毎日側は、名前は出せないとして編輯局長が辞職した。

 記事を書いた記者は41歳以上で徴兵年齢から外れていたが、2~3日後には丸亀の陸軍部隊へ放り込まれた。記者は海軍報道部員で、南方へ海軍の招請で取材に出向く直前だった。実は、陸海軍が飛行機資材争奪戦で泥沼関係にあり、記者は海軍の肩をもったと見られた面もあった。いずれにせよ、もっとも好戦的な毎日新聞がかかる記事を書いたところに苦い笑いが湧く。

 昨今、新聞の政治漫画が少しも面白くない。事実をなぞって、皮肉とも諷刺ともいえないような、いわば駄じゃれ的漫画ばかりだ。わたしはきわめて不満である。宝島社広告は、すっきりしており、かつ、大事なところを突いた。時代錯誤ではない。「歴史は繰り返す、1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」という経験哲学を示している。わたしは、佳作とする。

 自民党嫌いの某氏が「菅さんは玉砕するのだろうか?」と軽口を叩いた。はたと気づいたのは、世間には、安倍氏遁走の後をうけて菅氏が貧乏くじを引かされたというアンコンシャス・シンパシー(無意識の同情)があるのではないか。安菅一蓮托生が忘れられたらしい。だから、ここまでトンチンカンで無策・無為を重ねているのに支持率の落ち方が足りないわけだ。

 玉砕とは、「大丈夫(立派な男子)はむしろ玉砕すべきも、瓦全する能わず」(北斉書)からくる。玉が美しく砕けるように名誉や忠誠のために潔く死ぬことだ。瓦全は、いたずらに身の安全を保つ意味だ。散華も玉砕とよく似ている。本来仏教で仏を供養するために花を撒くことが、わが歴史においては、桜花のようにいさぎよく散ると誤用され、いかにも価値があることのように人々の頭に叩き込まれた。かくして戦争中、人々は政治に殺された。

 そこで大事なことだが、かの戦争指導部においては、ごく一部を除いて圧倒的多数が玉砕も散華もせず、生き残って、A級戦犯から総理大臣にまで登ったのもいる。昨今の、そこらの叩き上げにとって、心強く学ぶべきは、とにかく生き延びること、すなわち「瓦全」精神であり、それ以外ではない。

 少し見渡せば、中枢人物は素知らぬ顔で、部下たる官僚や、秘書に責任を押し付けて生き延びる。政治家とは、したたかに長く生き延びる根性の人だと思えばよろしい。玉砕・散華するのは、権力者にあらず、下々である。

 哲学者・朝永三十郎氏(1871~1951)は、わが国の哲学を前進させるために大きな貢献をされた。戦時中、玉砕だの散華だのが叫ばれるなかにあって、玉砕論のおぞましい本質を見抜き、「瓦全」精神を貫いて生きた。この含意を理解してこそ、庶民は歴史を繰り返さず、賢い社会的生活を送ることができるにちがいない。宝島社広告は決して時代錯誤なんかではない。