週刊RO通信

身内の読売、忖度の日経?

No.1205

 防衛相・稲田女史が、6月27日、自民党の都議会議員候補者ためにおこなった応援演説の中味に批判が集中している。選挙戦では応援団も熱くなりボルテージが上がるが、事柄の性質からして選挙が終わっても問題は残る。

 興味深いのは読売社説(6/30)「政治的中立に懸念持たれるな」である。いわく、「あまりに軽率、不適切、自衛隊の指揮官としての自覚を欠く」と決めつけた。これ、庶民的感覚では「辞職せよ」というように聞こえる。

 なんとなれば、「公務員は公職選挙法で地位を利用した選挙運動を禁じられている」からだ。選挙違反をやったと指摘しているわけである。地方公務員がビラを配っただけで、しょっ引かれるお国柄である。

 たとえば公職選挙法第239条では、教育者が地位を利用して選挙運動をやれば、「1年以上の禁錮又は30万円以下の罰金に処する」と書かれている。失礼ながら、そこらの先生でさえ、この厳しさなのである。ましてや!

 このように考えれば、誤解を招く恐れがあるから撤回するというがごとき弁解をするようでは、まったく分っていない。失言、妄言、暴言、嘘をついても、すべて撤回ですむのであれば、これ、法治国家とは到底いえない。

 「将来の首相候補も視野に、稲田氏を引き立ててきたのは首相だ」とも書いた。その大恩に報いるどころか、首相を窮地に追い込むとはなにごとかと読める。一方、客観的には首相の任命責任ありという意味にも読める。

 昨年8月に防衛相就任以来、稲田氏は物議を醸す言動が相次ぐ。靖国参拝、森友代理人についての虚偽答弁にも読売は言及する。そして「抜擢が重なって日の当たる場所ばかり歩んできた。慢心はなかったのか」

 ひさびさ、読売が、「デモクラシー」を守る立場からの正論を展開してくれているなあと思って読んだが、とどのつまりはどんでん返しで、慢心という精神論でまとめようとした。身内に甘いのは仕方がないか。

 それでも、読売がここまで書かざるを得なくなったのは、それだけ政権が追い詰められてきたという解釈ができる。身内に甘いことばかり書いていると、読者の信用を失うばかりか、果てはわが国のデモクラシーに背く。

 一方、こちら日経社説(6/30)のタイトルは「イロハのイが分かっていない」と大上段に斬り込む。某防衛相経験者が「自衛隊の政治的中立はイロハのイだ。稲田氏の意識が低すぎる」と批判したのを意識したタイトルらしい。

 いわく、お粗末というしかない。行政の政治的中立を逸脱。憲法第15条で「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と定めている。(ということも知らないのか?)

自衛隊法61条は選挙権行使を除き隊員の政治的行為を禁止している。(ということも知らないのか!)公職選挙法136条の2は公務員の地位を利用した選挙運動を禁じている。(ということも知らないのか!)

 稲田氏は弁護士出身ではなかったか。司法試験に合格して法律を扱う仕事をしてきた人が、いったいどういうことだろう。――手厳しい。

 かくして、本文でもう一度「防衛省・自衛隊のトップとしてイロハのイが分かっていない」とダメ押し。さらに「閣僚として失格のそしりを免れない」。極め付けが、「今夏の内閣改造・自民党役員人事で、首相がよもや続投させるなどということはあるまい」とボロクソなのである。

 さらに、かの罵声怒号議員・豊田女史にも矛先が向いて、「人を人とも思わない言動は国会議員として失格」、「よもや次の衆院選に出馬するなどということはあるまい」と並べてバッサリ斬り落とすのである。

 しかし、稲田女史を逸材として引き立ててきたところの、首相たる方の暴走ぶりは稲田女史どころではない。憲法に基づいた行政をしなければならないのに、勝手に憲法を解釈して、自分の好みに憲法を合わせようとする。

 首相は、通常国会で共謀罪法案の審議において、ほとんど木偶でしかなかった法相を臆面もなくイスに据え続けた。時間稼ぎの置物だ。それに対する日経的正論が、もう1つ食い足りなかったのが遺憾である。

 いずれにせよ、今夏の内閣改造を前提することは、張本人の問題発言・問題行動を大目に見て、これで幕引きしなさいと脚本を書いているのと同じである。これまた、典型的「忖度」だというべきではあるまいか。