論 考

スピーチの力(ちから)

 ドイツのメルケル首相や、ニュージーランドのアーダーン首相の人気が上昇している。コミュニケーション力である。2人のコミュニケーションをコンテンツ(内容)とプロセス(話し方)に分けて考えてみる。

 コンテンツは、相手に行動を訴えるために、なぜそうするべきなのかに重点が置かれている。はじめに結論ありきではなく、自分がそのような結論に至った理由を淡々切々と話す。

 プロセスでいえば、構えたところがなく、自然体である。とくに大事なところは、「皆さん」ではない、「あなた」を意識している。これは、語り手が「one of them」であることを頭に叩き込んでいるから可能なのである。リーダー面をせず、共に考えましょうというわけだ。

 アベノマスクも緑のタヌキもリーダー意識が過剰である。丁寧にしゃべればしゃべるほど「何か裏があるのじゃないか」と不信感を持たれる。その根底には、官尊民卑が染みついているわけで、いわゆる「上から」の指示なのである。

 わたしは昔、組合活動に入った当時、ベテラン組合役員が「組合員の皆さん」と呼びかけるのが気色悪かった。「あのね、Aさん」あるいは「Bさん」でしょうというのが、わたしの持論である。

 昔むかし、大学の雄弁会などで鍛えた人は、概して「満場の諸君」調になるのである。本人はまことに気持ちがよろしいが、他者の気持ちを打たない。

 さらにいえば、官僚的スピーチの匂いが強いのはだめだ。しかも、隙を見せては突っ込まれると戦戦兢兢しているから、自分が相手を信頼していないのが気取られてしまう。

 単純にまとめてしまうと、スピーチによって信頼感が前進するかどうかなのであります。