週刊RO通信

古色蒼然・大言壮語

 4月10日15時2分から、安倍氏が田原総一朗氏と25分ばかり会談した。田原氏によると、7日の緊急事態宣言について聞いたところ、安倍氏は、第三次世界大戦は核戦争だと思っていたが、新型コロナとの戦争だということに気づいて、「戦時体制たる」緊急事態宣言を出したと語ったそうだ。

 まあ、たとえ話としては戦争みたいなものだが、戦争は国と国との間でおこなわれるのであって、ウイルス対策と本来の戦争はまったく異なる。ウイルス対策は国と国とが協力し合って危機を克服するのが筋道である。

 第三次世界大戦にたとえるほどの緊迫感を持っているのであれば、自宅で犬と戯れる画像を配信するごときトンチンカンが発生するわけがない。閣内、与党と政府、いや、もっとも身近で親しいはずのお友だちグループとの関係においても、なにかと齟齬が目立つようになっている。

 それはともかく、わたしはかの大東亜戦争について思い出した。確かにかの戦争との共通点があるようにみえる。1941年11月4日の軍事参議院会議で時の首相・東条英機は、「2年後の見通しが不明なるがために、無為にして自滅に終わらんより、難局を打開して将来の光明を求めん」と対米英開戦を主張した。中国大陸で日本軍はにっちもさっちも動きが取れない。

 アメリカの対日経済制裁で「血の一滴は石油の一滴」の石油が乏しい。このままジリ貧になるのならば一発勝負に出ようという。同29日には海相・米内光政が、「ジリ貧を避けてドカ貧にならないように」と発言したが、これまた身体を張っても無謀な戦争を避けるという性根がない。

 もちろん、今回は突然のコロナ騒動で、こちらから戦争へ突っ込んだのではないが、「見通し不明」に関しては当時と共通しているわけだ。問題は、戦争と大言壮語するにしては明確な目標・戦略・戦術がない。

 1931年の満州事変に端を発し37年には日中戦争が本格化した。国内統制は38年から本格化した。輸入は軍需優先で民需圧縮。経済統制として、生活簡素化・貯蓄奨励、さらに鉄屑・やかん・鉄瓶・文鎮など廃品回収の号令が出された。飲食・カフェ・待合には営業時間短縮命令、学生狩りも始まって、カフェでコーヒーを啜っている不良学生! が7千人以上検挙された。

 日常生活は日を追ってみじめになり39年には、食糧難・電力不足・コメ不足・燃料(木炭)不足——40年になると、コメ・ミソ・醤油・塩・マッチ・砂糖が切符制になった。物価高に物資不足。日々の生活がままならぬ。

 いらいらもやもやしていた41年12月8日、日本軍の真珠湾奇襲攻撃での戦果と対米英(蘭)開戦が報じられると、全国津々浦々熱狂、また熱狂の大騒動になった。一か八かのバクチどころか、まったく成算なく戦争に突入した。データ分析すれば戦争はありえない。ありえないことを前提としたのだから、戦争の全局を見通して戦略・戦術を創造できるわけがない。

 大東亜戦争1周年にして、戦況が思わしくないのは明々白々、ただし、国民には一切不都合な事実を知らせない。完全に御用化した新聞・ラジオを通じて煽り続けるのみ。いわく、「国民の戦争意志高揚が足りぬ」として、東条は朝から晩まで、演説・訪問・街頭慰問に汗をかく。

 もともと何をどのようにするという明確な目標なく、必然戦略・戦術がないのだから、まかり間違っても民心が反逆するようなことにしてはならない。そこで生まれたのが「連続決戦」という珍語である。今回もまた、緊迫した状況や正念場の連続である。ただいま緊急事態宣言の中身をみれば「自粛」のみ、昔流なら戦争意識高揚が足りぬわけだ。

 医療が崩壊してはならぬと言うが、病床のみか、医療に関わる人々の個人用防護装備(マスク・防護服・ガウン・フェースシールド・消毒用エタノール・手袋)が不足していると悲鳴が上がる。鉄砲に弾がなくて戦争できるわけがない。「竹槍では間に合わぬ」(毎日44.2.23)

 第三次世界大戦などと形容する小才があっても、手堅く、1つひとつの仕事を構築して戦争する! という態度が見られない。戦争指揮にメリハリがない。すでに悪質デマが飛び、「コロナ疎開」なる言葉も出た。くどいようだが、現状をきちんと総括し、今後の戦略戦術を丁寧に国民に説明しなければならない。上からの「自粛」作戦の体質は昔からまったく改まっていない。