月刊ライフビジョン | 地域を生きる

コロナ禍をまちづくりに役立てる手はないか

薗田 碩哉

 お盆明けにコロナ・ウィルスに罹患してしまった。それなりに気を使って外出時にはマスクをしっかり着けて、建物の入り口での消毒や検温もおさおさ怠りなく、団体の会合や研究会もできるだけオンライン参加という安全策をとったにもかかわらず、8月15日の夜に8度近い熱を出し、咳も止まらず、眠れない夜を過ごした。翌日、売薬の熱さましでしのぎつつ、市内の発熱外来に連絡してみたが、電話がかからないところが多く、やっとかかっても空きがないというお断りで、なかなか診てもらえない。隣り町の市民病院が予約なしで誰でも検査オーケーという情報をもらって家人の運転で駆け付けた。

 行ってみると屋根付きの広い駐車場を待合スペースにして、互いに距離をとって椅子を並べ、スタッフが何人もいてテキパキと受け付けて事を進めてくれる。これはありがたい。さほど待たずにPCR検査を受けられ、当面の処方として解熱剤と咳止めを出してくれた。さほど大きな町ではないのに、オープンな姿勢と迅速な処理には感心させられた。ただし、この町の市民でない者は特別徴収の診療費があるが、市民税を払っていない輩には当然の対応だろう。町によってコロナ対応にはかなりの温度差があることを実感しながら検査の結果を待つ。

 翌日の電話でまさかの「陽性」、他者と接触を断って過ごすよう指示があり、やがて保健所から事細かな隔離生活案内が届いた。そこに示してあった、指先にはめ込んで血液中の酸素濃度を測定する「パルス・オキシメーター」を注文すると次の日にはもう届けてくれた。この数字が低下すると呼吸困難を引き起こすので、検温とともに大切なチェック項目である。幸い数値は正常で一安心。後はしっかり栄養を確保して10日間逼塞していればよい。必要ならば食料品の配達もしてくれるのだが、こちらは家族の支援で何とかなった。こうしたコロナ感染者向けサービスは2年半の実績?を踏まえてなかなかスムースに展開されていると感じた。

 小生はニュータウンのマンションに息子夫婦(最近、孫が生まれた)と同居していたのだが、赤ん坊に感染したらたいへんということで、老夫婦は直ちに家を出て「山荘」に引っ込んだ。そこは住まいから2㌔ほど、ニュータウンの南側にあって開発を免れ、豊かな緑の残る一角で、かつてそこを拠点に「さんさん幼児園」を運営していた場所である。四六時中一緒に居る家内は当然のように感染して発熱したが、こういうケースは「みなし陽性」ということで検査に行かなくても感染者扱いのサービスが受けられる。コロナで水入らずという状況になって、冷凍食品やカップ麺やあれやこれやの食材を調達して3食を凌ぎ、幸い軽症で二人とも熱はすぐ下がり、気分は良好とは言えないが、昼寝をしたり音楽を聴いたり本を読んだり、小さな庭の手入れをしたり、楽器のお稽古などして過ごした。テレビはなくラジオだけ、新聞も来ない。インターネットもうまく繋がらずスマホだけが頼りの情報生活だったが、それなりに内面的には充実した10日間を過ごして解放された。

 以前にこの欄にも書いたが、現在の日本の地域社会は、世界的に見てもっとも貧弱な近隣関係しか持っていない。特に困ったとき、病気の時などに助け合いができるかという比率は、欧米にも途上国にも及ばない「冷たい社会」である。ところがことコロナ感染という事態になると、隣り近所とあんまり関わり合わないというのはプラスに作用する。垣根越しに顔が見えたら会釈しあうぐらいの関りなら、コロナで逼塞していてもあんまり実害はない。本来なら食料品や日用品の買い物など、近所がもっと助け合った方がいいとは思うものの、病気がそれほど深刻にならない限りはお互い無関心の方が過ごしやすいとも思った。

 とは言え、人間的なコミュニケーションは毎日の食べ物に劣らず重要である。その点はスマホでのおしゃべりやLineというネットワークを使った「つぶやき」交換が大きな役割を果たした。きょうだいや子どもたち、親しく交際したり一緒に活動している人たちには、毎日あれこれ状況を報告して同情されたり情報をもらったり励まされたりした。中には美味しい果物などを届けてくれる人もいて「友達はいいもんだ」としみじみ思わされた。日本的贈答文化は、こういう事態のもとでは大きな役割を果たすということだ。

 もう一つ、自治体の支援活動についても考えさせられた。厳密に比較検討したわけではないが、情報提供から医療サービス、人的・物的支援について、明らかに自治体によって濃淡というか粗密があるように感じた。機動的で充実した医療機関をしっかり機能させている自治体と、いろいろ不手際のあった自治体とを比較検討してみることが大切である。コロナを機に市民はもっと医療や保健衛生や福祉サービスに関するわが町の【コモン=共同性】について関心を持たなくてはなるまい。わが町にコロナが来襲しても、自治体と市民が手を携えて有効な対処ができるようなまちづくりはいかにしたら可能であるか。コロナという未曽有の体験を市民の連帯感の深化に結び付けていく策を考え出したいものである。


[地域に生きる 2022年9月] 【地域のスナップ】 時計草の花

 わが山荘のベランダの手すりに時計草が花をつけた。名前の通り、花弁とガクが時計の文字盤みたいに見え、3つに分かれた雄蕊が長針と短針と秒針みたいに見える。思わず見とれてしまう。かすかな芳香もある。そしてこの花はたった一日しか持たない。時とともに消え次々と新しい花が咲く。ブラジル原産の蔓性植物。初夏から盛夏にかけて咲く。

◆ 薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。