週刊RO通信

日本の保守党的伝統を考える

NO.1427

 日本の保守党の伝統は、選挙に強いことである。選挙技術に優れている。草の根保守主義といわれるほどに、したたかに根を張っている。選挙で勝たねば、いかに理屈を言っても仕方がない。1に選挙、2に選挙、3、4がなくて5に選挙という調子である。

 最近は見ないが、1980年代までは、選挙戦で危ういとなれば、大物政治家が演説中に、細君ともども突然ガバッと土下座する。その迫真的演技に、気のいい人々は意表を突かれて、「なんとかしてあげなくちゃ」と同情する。「候補者は吠え、妻は哭く」、「理屈は後から貨車に積む」というわけだ。

 選挙技術といえば科学的・合理的なことを想像するが、まことに泥臭いのであって、とにかく「お願い一直線」である。わが事務所がある選挙区の保守党候補は、被災地ででかい態度をして全国的に顰蹙を買ったのであるが、選挙で街宣するときは、猫なで声で囁き続ける。聞いている方は鳥肌が立って恥ずかしくなるほどのテクニシャンである。

 1918年、初の政党内閣を立ち上げたのは原敬(1856~1921)である。原は、「政党を大きくすることと、政策をおこなうことは別だ。党が大きくなるためには、無主義・無節操で、ひたすら党を大きくすることのみ考える。政策をおこなわんとすれば、党が小さくなる」と語って憚らなかった。

 要するに、勝つためにはなんでもあり、勝ってしまえばこちらのものという態度であるが、実際、これが奏功した。現在の保守党では、こんな直接的な表現はしないが、本質的に原の考え方が染みわたっているようだ。

 真面目一筋、他者の話を聞くのが特技だと自画自賛する岸田氏も、この点、人後に落ちない。安倍・菅政権が日本の民主主義を危機に陥れたと、巷の声が高まれば、総裁選ではそれをキャッチコピーとして使う。ところがフタを開けてみれば、安倍氏の支持をかたじけなくして、総裁ポストを獲得した。

 社会的常識としては、アウトロー的支配から脱して、清新な体制を構築するだろうと期待した。ところが巷の人々が、民主主義を破壊した張本人と見ている人物の支持によって、総裁の椅子を獲得したのだから、雇われマダムみたいなものだ。傀儡だ、安倍・菅政治の継承だ、とメディアは辛口批判をするのだが、岸田氏にすれば痛くも痒くもなかろう。まずは椅子に座る。

 総選挙でコテンパンに敗北すれば、その時はその時だ。党内が治まる程度の結果であれば、最大の関門は乗り越えたことになる。幹事長に甘利氏を据えたのは、論功行賞、借りは返したようにも見えるが、野党が騒動する。麻生氏は副総裁に祭り上げた。野党がにぎにぎしくやればやるほど、党内は結束し、さらに岸田氏は党内でのフリーハンドを得るわけだ。

 総裁の椅子に座るために、無主義・無節操でいく。その点、後の3候補は保守党の伝統的強みを知らず、総裁選挙を盛り上げるための脇役であった。とくに河野氏は戦局が読めない。自派内ですら支持が固まらず、挙句は安倍・麻生両氏が天敵! 扱いしている石破氏に助っ人を依頼したのだから、わざわざ支持を減らす努力をしたようなものだ。さて――

 枝野氏は、「自民党は変わらない、変わられない」とコメントした。そうなのだ。わたしが見るところ、岸田氏は、議員筋では「面白くない男」とか「退屈な男」と評価されているらしいが、いまのところ、原敬以来の選挙に強い保守の伝統的強みを踏まえている。枝野氏や野党が政権獲得をめざすというのであれば、自民党が「汚濁」から「清新」へ変わらない・変わられないことを批判するだけではなく、したたかな強みを学ばねばならない。

 そもそも、立憲民主と国民民主が角を突き合わせるなんてのは、失礼を顧みずにいうが、まことに分不相応である。玉木氏が語るように、「小たるといえども主張を貫く」というのは立派な心がけである。しかし、国民民主は、このままでは消えるしかないという事態にあって、自民党議席を減らす「大義」にすら参加しないならば、ますます存在価値を失うだろう。

 枝野氏は、自分こそ正統派の保守だと語るが、この際、仲間を増やせないのはなぜか深刻に考えるべきだ。よくもわるくも保守党において、原敬的主義は保守党の強みとして営々と続いてきた。理屈が先行して仲間が増えないことを、もっと本気で悩んでもらいたい。