月刊ライフビジョン | 家元登場

ひとの気配

奥井禮喜

旅は出会い

 いつからか忘れたほど、事務所へ出ているとはいえ書斎的生活をしていたのであるが、目下は100人・100時間インタビューをやらせてもらうお陰で大げさではなく国内を走り回っている。つくづく旅は出会いだと思う。ただし新幹線にせよ、航空機にせよ格別の出会いがなかった。高速度交通機関には、出会いらしきものがない。かつて漱石先生が列車旅行を評して、皆が同じ方向を向いて箱に詰められて運ばれる荷物みたいなものだ。とボロクソに書かれていたように記憶するが、今回2~3月の旅で、わたしもまさにその含意の深さを痛感させられた。箱といえば、新幹線の喫煙ルームなるものはとりわけ情けない代物である。運ばれる荷物が自前で「燻蒸」しているみたいで、なおかつさらし者にされて外から見られているようで、絶対に入りたくない。悪口だけではいけません。最近の駅のトイレが非常にきれいになったことは特筆大書の素晴らしさである。

予想外の応対

 某ホテルは小ぶりで箱ものはだいぶ古くなったが、ホテルの大きさに比しては不似合だと思われるバーが連日きちんとオープンされている。合計4夜通った。もちろん昔ほど飲むわけではなく、1日の消耗した精神力回復のためである。バーのフロントもバーテンダーも、なんと大学生のアルバイトである。うむ、バーはホテルの顔である。顔をアルバイト学生に任せている経営者はよほどの太っ腹だと感服したのである。ところがそれは浅薄であった。この学生さん2人の人柄に、わたしはほとほと感心させられた。ほとんど客が他にいなかったせいもあるが、毎晩、ちょっとしたミーティングを2時間ばかり展開したのである。もちろん彼らはカクテルレシピにしても少ししか知らない。たまたまわたしが注文したものは見事に作ってくれた。会話の応答は実際一流ホテルのバーテンダーに負けない。目下就職活動中なのであるが実に気持ちのよい応答をされた。

語るべきを持ち

 1人は証券会社を狙っている。同時に、海外で勤務したいという。語学力もさることながら、語るべきことをちゃんと持っておられる様子なので、密やかに舌を巻きつつ就職活動の成功を期待した。語りかつ質問されるままにいくつか古典を紹介した。ポケットから手帳を出して記録される。素早いのである。どこの学生さんか問わなくても大方は想像がついた。たまたま優秀な学生さんがアルバイトされていたにせよ、仕事の態度はムリ・ムラ・ムダが感じられない。立ち居振る舞いも自然で滑らかである。しかも、もっとも感心したのは客の手元をさりげなく見ていて、勧め方が堂に入っている。まさか、ホテルパーソンをめざしてはなどとは言わなかったが、もし一流ホテルの人がお客でおられたら、きっと「うちへ来ませんか」と勧誘なさったであろう。はっきり言って、他のベテランらしきホテルパーソンに負けておられない。かくてわたしは滞在中に夜な夜な出没した次第だ。

ひとの気配

 次は全国にチェーン展開するホテルに数日泊まった。もちろんビジネスホテルであって、カフェはあるがバーはない。先日のホテルの倍以上の大きさである。カフェには数度入った。人を絞り込んでいるのか、フロアーにはサービスする人がほとんどいない。入り口のカウンターに鎮座ましますのであるが、入店時に注文したものを出すと直ぐに居なくなって、飲み物を注文するには、こちらが行動するしかない。わたしはホテルで声を上げるとか、招き猫するのはよろしくないという態度を固く守っているので、注文するためには席を立って、カウンターまで行ってお願いする。というわけでいささか腹立たしくもあった。さて、1つのシリーズを終えて深夜近く東京駅に到着して席を立ったら、青年から声を掛けられた。かの、太っ腹経営者のホテルのアルバイトくんであった。明日は就活ですと言われる。しばし立ち話、「しっかりね」と激励して握手して別れた。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人