月刊ライフビジョン | 論 壇

黒猫白猫論から考えた

奥井禮喜

中国の歴史的改革論争

 1978年に改革開放に大きく舵を切ったものの、中国共産党内部の理論闘争は容易に決着しなかった。

 それを決着させて経済改革驀進路線を切り拓いたのが鄧小平(1904~1997)の南巡講話であった。1992年1月から2月、鄧小平は武漢・深圳・上海を巡回して改革開放路線をキャンペーンした。目標は60年後の2050年に経済中等国レベルへ、人民の生活レベルを上げると主張したのである。

 鄧小平理論の焦点は、計画経済・市場経済は社会主義・資本主義を問わずの経済理論だということだ。たとえば、陳雲(1905~1995)は鳥籠経済論で一方の主張を代表していた。こちらは、計画経済は市場経済よりも尊重されるべきだ。社会主義こそが計画経済で、資本主義が市場主義だとする。中国が、社会主義でいくのか資本主義に転換するのかの理論的激突である。理論を大切にする党であるから深刻な対立である。いまでも日本人には理解できないだろう。

 いや、実際は中国指導層内部でも、理屈の難解さだけではなく、実際にどんな経済体制が形を現すのか。その時点では見当がつかなかったであろう。

 たまたま同時期に訪中した私は、幹部の1人と同席する機会に恵まれたので質問した。社会主義的市場経済とはなんですか? 氏は微笑みつつ応じられた。中国がおこなう市場経済だから社会主義的市場経済です。

 市場経済は資本主義だけではない。社会主義の中国がおこなうのだから社会主義市場経済だという、まあ、はぐらかしにも見えるが、当時は、それが精いっぱいだったと思う。

 それからの中国の変貌には驚かされた。1990年訪中の際、上海浦東新区の概要計画を聞いたが、印象としては、なにもない大平原にススキが揺れているだけだった。スケールとスピードが私の予想能力では到底組み立てられなかった。

 安倍内閣時代に、中国的改革を見習おうとしたのかどうかは知らぬが、なんとか特区構想なるものが出された。ネーミングは似ているが、中身はまったく無関係。もし、見習おうとしたのであれば、認識違いも甚だしかった。

チャラチャラ改革に見える

 こんなことを連想したのは、過日の、維新・馬場氏の発言による。同氏は、維新のあり方について、① 第1の自民、(維新が)第2の自民でよい。1と2が改革競争をおこなう。② 立憲がいても日本がよくならない――と語った。

 実際、わが国では小泉時代から自民党が改革なる言葉を盛んに使うようになった。それまでは、まさに保守が押し出されていた。保守と革新の2つの潮流において、保守正統の立場を誇示していた。

 ただし、少し目を凝らせば、いったいなにが改革なのか。小泉氏大得意の郵政改革は成功したのだろうか? ユニバーサルサービスが目玉だったはずだが、郵便事業の質的後退が著しい。月曜から金曜までしか配達しなくなったから、木曜に投函する郵便物が届くのは5日後である。不便を上回る成果があるか?

 たびたび批判しているように、自民党的改革は、名前と中身が合致しない。小泉内閣以後、自民党は大きく迷走し、急づくりの民主党に政権奪取されて下野した。2012年に政権復帰を果たしたが、その後の政策は、露骨な選挙第一主義である。すべてが選挙勝利へ向けて戦術化され、当たり障りのよいコビーを多用した大宣伝がひときわ目立つ。

 しかし、議会においては数を頼んだ強引な運営が日常的である。野党の質問に対して、政府与党の考え方の範囲であればそれなりだが、問題が基本的な認識に及ぶ質問は、全面的に答弁しない。岸田氏の耳は馬耳東風、馬の耳に念仏の類らしく、エンドレス官僚的答弁が最大の特徴である。

 時間の経過とともに、議会の活動機能低下は眼を覆うばかりである。そして、議会の活動機能低下の責任を野党になすりつける傾向が出ている。そのような与党の戦術に加え、なんとか党勢を活発にしたい野党が、意図はどうあるにせよ、結果的に野党同士の蹴飛ばし合いをやっていることも重なる。

 その典型的な論議が、与党対決型か問題解決型かという、わかったようなわからない話になる。厳しい質問をするから対決型だというが、質問の質こそが問われねばならない。問題解決型といえば、なるほど事態は進む。ただし、与党が進めたい政策が正しいテキストに基づくという保証はまったくない。

 議会の論議は、政策の立ち位置が正しいかに始まり、可能な限り精緻丁寧に煮詰めて、政策を磨き上げるのが仕事である。人々が法律を読んでも、すっきりと理解できないような条文を作ったのでは、なにをかいわんや。大昔からいうように法律は少ないほどよろしい。その中身は明晰・判明であるべし。そうでないのは、論議不十分だからである。

 自民党には昔から、選挙で勝てばオールマイティにやらせてもらいたいという見解が強い。これが大間違い。そうであれば議会はいったいなんのために存在するのか。与党とそれを支持して活動する官僚だけが政治をおこなうことを官僚政治という。国民不在であり、上位下達であり、民主主義を騙ったファシズムと変わらない。敗戦前へ回帰しているかのようである。

 国民的・社会的合意性が高い政策は目くじらを立てて基本論争をおこなう必要はない。しかし、ただいまの主要な政策課題に対する批判が物語るように、ざっと半数、それ以上が反対の意思表示をしているのだから、つまりは、その疑問・批判を解決するためには、議会での論議を掘り下げねばならない。

 これは野党に点数稼ぎさせてやれということではない。日本政界は、長く、問題解決は足して2で割る単純な方法が信奉されてきた。もちろん議論の結果の妥協は必要だが、中身の取り分の多寡、バーターが課題ではない。国の政治が、中長期的に見て妥当な道筋を辿っているか、無理をしていないか、大事なことが漏れてはいないか。政策から実行までのPlan・Do・Check(計画・実行・反省)を順当・円滑におこなうためなのである。

 ところが政府・与党の政策次元スタイルが、選挙第一主義に傾き、投網で魚を捕獲するように政策を票に変えたいという意図が強いから、どうしても、政治はポピュリズムになる。人気取り、無節操、強引な岸田政治は安倍時代のポピュリズムをさらに加速させている。よほど深刻な問題である。

 維新は目下、日本的ポピュリズム政党としては先頭を走ろうとしている。残念ながら、第2でよろしいというだけあって、自民党的改革に対する堂々たる見解がない。いまは、投網でこぼれた獲物を奪うカモメ群みたいだが、果たしてカモメが漁師になるか、という疑問もある。

で、なにを改革するのか?

 馬場氏はさらに踏み込んだ。いわく、立憲がいても日本はよくならない。よく言った。競争関係にある政党が、他党批判をするのは当然である。ただし、罵倒すればいいのではない。厳しい批判ほど、声低く、丁寧に説明するのが政治家の度量、努めである。

 自民党政治のあり方に異議申し立てをしている人は少なくない。論理的には、立憲がいても日本がよくならないかもしれない。同時に、論理的には、第1と第2が改革競争してもよくならないかもしれない。

 大阪を見れば、高度経済成長時代と変わらぬ発想で、関西圏大浮上のかけ声で登場した目玉イベントが万博である。いまごろ準備が厳しい、仮設建築物許可がゼロだなどと騒動が起こるのは、なんとも心細い。そもそもイベントで地域の活性化を図るというのは、決定的に成功率が低い。

 大風呂敷を広げて万博誘致まではこぎつけたが、当初予算は大幅に超過した。もちろん、選挙で万博を掲げた成果があっただろう。つまり、維新にとっては万博効果はすでに先取りした。後は、いわゆる消化レースみたいなもので、隠し玉が第1、第2論を引っ提げて、政府与党の支援よろしくという、政治家的手練手管にも見えてくる。改革のスケールは、小さい。

黒猫・白猫論の教え

 話を戻そう。鄧小平が南巡講話のさい、黒い猫でも白い猫でも鼠を捕る猫がいい猫だと語った。語源は、清の時代の怪奇小説『聊斎志異』(蒲松齢)だ。鄧小平は、最初1960年代に使ったのだが、有名になったのは南巡講話である。

 すなわちいい猫とは、人民の生活レベルを上げ、中等国への歩みを確実にすることだ。経済発展と生産解放を呼びかけたのである。従来、それはブルジョワイデオロギーとしてタブーであった。さらに、計画経済と市場経済が両立する論を押し出した。黒猫・白猫は、人々の大共感を掘り起こした。それが1990年代後半になると盛大に結実した。

 自民党や、維新の馬場氏の改革には、中国の人々を揺り動かすような、エネルギーがない。ちょこまか、場当たり主義では、敗戦後の最大の敗戦状態にある日本社会の再生を呼びかける力がない。

 維新は、たまたま選挙戦術が奏功したので意気上がるのだろうが、政党としてのものの見方、世界観、人間観などが、見事というほど見えてこない。与党は喜びをかみしめているだろう。自民党がいちばん嫌いなのは、さまざまな問題に対する本質的問いかけと論議である。それをやらない野党の統御はラクだ。だから、こんにちまで長く政権を担ったのである。

 与党に嫌われることを警戒するのでは野党の仕事にならない。与党に嫌われ、人々の疑問に心から答えることができる政党になってもらいたい。

 そのためには、いまの日本事情が自民党的改革の成果なのか。はたまた、大失敗の糊塗作業の結果なのか――面白い選挙に精出すだけでなく、オツムのなかの無限の宇宙探検に旅立ってほしい。たまたま、馬場発言があったので、維新について書いたが、野党のあり方論としては、いずれの党にも同じ注文である。

 選挙第一の、ポピュリズム政党から脱却しよう。そのために、どうぞ、わが国近代の歴史と、15年戦争と、民主主義の勉強を掘り下げていただきたい。


奥井禮喜:有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人