隔靴掻痒の感じ
1989年に連合が結成されて今年は34年になる。四分五裂だった中央段階の労働団体が大同団結して堂々たる労働組合運動を展開しているはずだった。現実は隔靴掻痒というべきか、それらしい社会的存在感がない。将来に向けて虎視眈々運動の力量を磨いているという気風も感じられない。
そもそも労働組合運動は、市民的民主主義における欠陥、不十分な面をつくり直そうとするものであるから、組合の本性は革新性である。その志があって力不足で足踏みしているならば、いつかは花が咲くだろう。そこで、気がかりは革新の志があるや否やである。
連合が自民党から秋波を送られる。頼りにならない野党の応援に苦労するよりも、直接権力の本丸と交渉して要求を実現したい。人情としては理解できなくもない。しかし、連合結成前段階の政策推進労組会議が、当初元気よく「力と政策」を掲げて政策課題に取り組んだものの、与党と官僚体制に取り込まれて、さしたる成果を上げられなかった。甘かった。
野党が与党・官僚体制を相手に容易に政策的成果を上げられないのに、連合が権力との直接交渉で容易に活路を開けるだろうか。甘い夢の再現になりそうだ。もちろん、1つや2つのサービス商品を入手できるかもしれないが——
ところで、そんなに保守党と連合の差異がないだろうか。保守党と連合の差異が少ないとすればこういうことだ。――260余年前英国に端を発した産業革命によって、資本主義の自由放任の損害を被った人々が労働組合運動を開始したが、善戦奮闘のかいあって、わが国においては、労働組合が革新性を必要としないほど市民的民主主義が発展を遂げた。――まさか。
組合活動≠組合運動
労働組合の存在理由をどのように考えているのか。存在理由に基づく活動のためのアイデンティティをいかに構築しているのか。
とくに、心配するのは、組合機関で活動する人々が、組合機関の存続を任務と考えてしまうことである。組合機関は、組合が運動を展開するための事務局である。だから組合機関自体の仕事は組合運動の本丸ではない。
組合機関自体を組合と考えるのはまちがいである。組合とは、組合員全体を対象にした概念である。つまり、さっこんの組合活動なるものは、組合機関活動であって、本体の組合員がほとんど参画・参加していない。組合活動=組合機関の活動はあるが、組合員が参画・参加する活動=組合運動がない。組合活動≠組合運動である。さらにいえば、組合員が参画・参加しない組合活動が主流になっているところに、こんにちの組合の深刻な停滞がある。
本当に昔はうまくいっていたか
なぜこんなことになったのか。かつてのベテラン活動家が、「昔はこうではなかった」と語るが、ある日突然こんなことになったのではない。こうではなかったと語る人が1970年代の組合活動を体験していたとすれば、その人は見えるものを見ず、あるいは見るべきものを見ていなかったのである。
1970年代の日本は、ニクソンショック、石油ショック、公害問題に大揺れであったが、なんとか乗り越えた。1970年代後半、経済はいわば順風に入っていたが、40代前の若手活動家は、組合活動が大きな曲がり角にあることにうすうす気づいた。組合運動の柱の賃上げに寄せる組合員の切実度が低下していた。こんにちと異なって、当時は賃上げといえば鳴り物入りで宣伝し、職場段階の勉強会も開催していたから、表面的にはそれなりに盛り上がっていたが、活動家は組合員との接点で、事情が異なっていることに気づいた。
四半世紀前の予測が当たった
わたしのチームは、その特徴を1977年末に、21世紀に入った時点でどうなるかという予測形式でまとめた。
組合員は――
a)生活がだいぶ安定して、賃上げへの要求が強くない
b)ために組合活動に対して望むものがない
c)組合の価値が感じられない
d)人生に生きがいがない
e)組合員意識は――無目的的――である
このコンセプトで小説を書き、組織内季刊誌で発表したのは1978年春である。小説形式にしたのは、春闘という錦の御旗を絶対視している人が多く、コンセプトを直接的に書けば、大きな反発を招く危惧があったからである。賃上げに対して組合員の関心が低下するはずがないと妄信する人が圧倒的であった。こんにち、これは十分すぎるほど誤っていたことが証明されている。
1980年代はバブルで賃上げはスムーズだった。いわば、大わらわの取り組みをしなくても賃上げできた。油断が発生し、組合員の勉強会など活動の手抜きが増えた。しかも、組合役員に立候補する人はほとんど消えた。これもきっちり見られていなかった事実である。
一方、賃上げに対する組合員の関心についての危惧をもつ活動家は、組合員を惹きつけるべくユニオン・アイデンティティ活動に着手した。しかし、取り組みは表面的な組合イメージの転換論にすり替えられ、組合員の生活と意識に立脚した目標を立てられなかった。原因は、伝統的な組合活動の理論と実践の失敗が正しく継承されていなかったからである。
1993年にバブルが崩壊し、以後企業側は利益確保を金科玉条として再建策を推進したが、組合側は十分な体制を構築できなかった。その年に生まれた人々がいま30歳である。組合がしっかりした理論と組織体制を構築していたとしても満足な対応はできなかっただろう。
連合結成は1989年、まもなく1990年代後半には雇用問題で大騒動だった。大同団結していたから、あの程度の被害ですんだという証明はできないし、いささかの期待をもっていた人々は大きな失望を味わった。
こんにち連合は発足以来34年の総括ができていない。結成30年に向けて連合の運動史が編纂されることを期待したが、空振りだった。1990年代以降の経済大変動における連合運動の現実をきちんと総括して、今後への足掛かりにするのが相当である。
30年に先立つ連合25周年に、『語り継ぐ 連合運動の原点 1989~2014』なる冊子が発行された。わたしは違和感を禁じえなかった。
もちろん、原点に立ち返り、初心忘れずに活動するのは大事だ。しかし、すでに四半世紀を経て、反省・総括しなければならない課題は山ほどある。それをやらず、大先輩諸氏の連合結成の武勇伝を聞くだけでは役に立たない。
わたしは、連合結成そのものにすでに大きな躓き、欠陥があったことを確信するので、以下にその要点を記したい。
連合の躓きは結成前から
戦前から労働運動の統一が期待されたが、統一どころか分裂衝突、足の引っ張り合いの繰り返しであった。だから、四分五裂の労働団体を統一して1つの組織にまとめ上げたのはたいした事業である。ただし、これだけで労働運動の原点が凝縮していると見るわけにはいかない。
『語り継ぐ』を読み進みつつ痛感したのは、大先輩諸氏があまりにも組合員を見ていない。組合が組合員全体を包含していなくて、自分たち大幹部! のことだと考えているフシがある。実に自己陶酔のオンパレードである。
もちろん、数は力である。それは必要な能力、いわゆる「力と政策」を備えてこそであって、大きくてもドンガラ的では数だけで力にならない。また、組合活動の原点というなら、せめて戦後の組合創立期に思いを馳せねばならない。
戦後、ポツダム宣言の――(中略)日本政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙(しょうがい)を除去すべし。言論、宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし(後略)――を実現するための橋頭保として、憲法に先んじて労働組合法がつくられた。組合が雨後の竹の子のごとくに誕生したといわれた。
当時は生活苦克服が喫緊の課題であり、賃上げが組合活動の柱として定着した。「食えるための賃金」という言葉は修飾語ではなく、現実的要求であった。だから1955年に開始した春闘は組合員の人気を集め、組合=賃上げ=春闘という位置づけが固まった。一方、民主主義の橋頭保として成長してきたかというと、おおいに疑問である。
日本的民主主義への組合の無関心は敗戦から遠のくにつれて増大した。組合内民主主義の形式と現実を少し見れば、昔から組合幹部が民主主義を本気で勉強していたとは思えない。きわめて権威主義というほうが妥当だ。
組合は、組合員の要求を獲得するために運動する。この言葉をつねに忘れず実践していれば、組合員の変化を見逃すはずがない。ところがパターン化した春闘に慣れきって、組合員が名前だけになった。さらに、組合=賃上げ=春闘が、あたかも不変の原則であるかのような錯覚状態にはまってしまった。
組合員の組合無関心、いわゆるアパシーは1970年代後半から次第に大きくなっていた。もともと、賃上げ大爆発時代においても、フリーライダーが問題で、活動家は、いかに組合活動への参画・参加を増やすか、苦心していた。その努力が薄れたのは1970年代後半~1980年代である。
大同団結論の欠陥
大同団結を呼号すれば、誰も反対はしない。当然の理屈である。しかし、組織同士の統一は、それぞれの組合員(単位組合の執行委員クラスでも)にとってさほど関心が高くなかった。初代連合会長の山岸章氏は、民主的労働運動から共産党を排除するのが狙いだったと語ったが、それに至っては、組合員段階ではほとんど問題意識がない。
最前線の活動家が、組合員のアパシーについて悩んでいる事情など大幹部はまるで知らない。ここに連合結成の最大の欠陥がある。要するに、組合員のための組合というなら、組合員が労働戦線統一に熱くならないことを無視するべきではなかった。仏つくって魂入れずというか、労働戦線統一は目的ではなく手段であるが、手段が目的化した観であった。
当時の組合員の言葉が忘れられない。いわく、「なんや、親分同士の手打ち式かいな」。組合員の意識、関心を本気で考えていないのだから、突き放されても仕方がない。
1980年だったと思う。わが組合の大会挨拶に来られた竪山利文氏に、「労働戦線統一で、毎年幹部の顔合わせ・心合わせの大切さを説かれますが、むしろ統一後の活動理念、アイデンティティを語っていただきたい」とお願いした。「そんな難しいことを言うなよ」というのが回答であった。
常識では、統一論の本丸はこれだと思う。しかし、現実は各団体がくっつくために、活動理念・アイデンティティは棚上げである。
ごく簡単に図式化する――戦後組合運動は賃上げオンリーでやってきた。賃上げ要求は欲しいから要求するので格別精緻な論議を要しない。一致団結、執行部を支えて要求貫徹というわけで、賃上げ物取り主義と批判をくらったごとく、それ以外には関心が広がらない。
とくに組合内では、上意下達の気風が容易に改まらなかった。この気風は誰が組合運動の主人公かという原点を忘れさせることにおおいに貢献した。
労働戦線統一は、まったく古い体質にはまり込んだままで形を整えた。組合員を動員対象と考える思想から新しい運動が芽生えるわけがない。こんにちの連合も、どうもその体質から抜け出せていない。しかも、さっこんの組合役員は、社会的に認められるほど大衆運動の経験がない。まあ、これは焦っても仕方がない。焦らなくてもよろしいが、「連合(組合)としての革新性とはなにか!」を確実なものにするための勉強に熱を入れてほしい。
言いたくはないが、組合員が黙って組合費を収めているから組合機関が存続するのである。しかし、黙って収めている組合員のだいぶぶんがアパシーなのである。とても不気味な事態ではなかろうか。
わたしが『労働組合が倒産する』(1981)を上梓した狙いのいちばん大きいものは、組合員が1人でも多く活動に参画・参加する組合つくりをめざすことだった。この提言はこんにちも不変の活動原則であろう。
◆ 奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人