月刊ライフビジョン | メディア批評

二つの捏造の背景にある報道の責任

高井 潔司

 3月のメディアでは、二つの「捏造」が大きな話題となった。一つは、死刑判決の再審をめぐって争われていた袴田事件で、東京高裁が再審を認める決定を下すとともに、捜査側の「証拠捏造の可能性」に言及した。もう一点は、2014年から15年にかけ、高市早苗総務相(当時)が放送法の解釈を大きく変更した経緯をめぐる公文書問題。国会での野党の追及に対し、高市元総務相は「捏造だ」と切り捨てた。

 袴田事件では、犯行時に犯人が着ていたものとして、みそタンクから「発見」され重要証拠とされた衣類5点を、裁判所が捏造の可能性もあると指摘し、改めて再審決定するまで、55年を要した。その間、袴田巌さんはほとんどの時間を死刑囚として服役していた。これに対し、高市元総務相はかつての部下が作成した文書を、「不正確だから捏造だ」の一点張りで、何がどう捏造で、では真相は何かについて全く説明をしないまま、追及を逃れようとしている。

 袴田事件は、1966年6月、静岡県清水市のみそ会社の専務宅が全焼し、専務と妻、次女、長男の4人の他殺体が見つかった事件。従業員の袴田巌さんが犯人として逮捕され、68年、死刑判決を受けた。その後、二回にわたる再審請求の結果、2014年にいったん再審開始が決定されたが、検察側が抗告し、今回の再審決定まで10年近くを費やした。2014年、最初の再審決定の際、本欄でも論じた記憶がある。この事件は、当初から冤罪の可能性が高い事件だった。何度も冤罪と見抜ける機会があったが、その都度司法と報道の怠慢がその機会を逃してしまった。

 そもそも今回、捜査当局の捏造の可能性が指摘された衣類は、裁判開始の1年後に発見された。逮捕時には、袴田氏の自宅から発見されたパジャマが犯行時の着衣として証拠にされた。しかし、このパジャマに付着していた血液は少量過ぎた。事件発生当時、5点の衣類が見つかったみそタンクは当然捜索されていて、その時は何も見つかっていなかった。裁判途中の重大な証拠の変更となるみそタンクでの着衣発見に関しては、私の調べた限りではどの新聞も報道していない。当時のメディアは袴田さんの犯人視一色だったから、捏造など全く想像もしなかったのだろう。

 この一点を見ても冤罪が疑われるが、それだけではない。袴田さんは逮捕から20日後に犯行を自供したことになっているが、第一審で主任裁判官を務めた熊本氏が調査したところ、自供前後の取り調べは16時間50分、12時間50分、14時間50分と長時間に及んでいた。合議制裁判で、無罪を主張しながら、多数決の結果、立場上死刑の判決文を書く羽目になった熊本氏は、判決文とは別に「付言」を書き、そこで自白の任意性について「長時間の取り調べで強要されたもの」と指摘し、「この事件の捜査は戦後ほかに例をみない手落ちのある捜査だった」と検察側をしかった。犯行を認める調書45通のうち、証拠として採用されたのはわずかに1通だった。二審、三審での無罪判決に望みを託す付言だった。しかし、前判決踏襲の傾向が強い日本の裁判では逆転無罪は極めて難しいのが現実だ。将来を嘱望されていた熊本裁判官は判決の1年後、辞職した。

 そんな冤罪疑惑にまみれた事件の裁判が再審開始までこれほどまでの年月を要したのはなぜか。それは日本の司法制度の問題に加えて、報道にも大きな責任があると言わざるを得ない。袴田氏が自供したとされる翌日の新聞は、過酷な長時間の取り調べをよそに、捜査陣の「粘りの勝利」とセンセーショナルに報じた。読売は袴田さんが「がん強に否認を続けてきたが、逮捕からまる20日目の6日午前11時ごろ犯行を認めた」とし、さらに「この日取調官が逮捕のきっかけとなったパジャマについていた血液についてきいたところ袴田は下を向いたまま涙を浮かべ『血液は犯行のときついたものです』と答えた。『やっぱりお前の犯行ではないか』ときびしく追及すると袴田は『あの事件は私一人でやったことです』とうなだれた」と書いている。もちろん密室での取り調べだから、この記事は捜査側の一方的なリークで書かれている。

 毎日新聞の紙面はもっとすさまじい。社会面トップで、取り調べを終えて頭からシャツをかぶって留置場に向う袴田さんのスクープ写真を掲載している。見出しをみると、「袴田ついに自供」「『金欲しさにやった』、ねばりの捜査69日ぶりに解決」「“パジャマの血“でガックリ」「葬儀の日も高笑い ”ジキルとハイド“の袴田」と、捜査当局を称賛する一方、袴田さんを犯人と決めつけ、二重人格者扱いだ。こうした記事を書いた記者は、重要な証拠である犯行時の着衣の変更について、何も疑問に感じなかったのか、あるいは当時知らされていなかったのか。

 朝日新聞はというと、逮捕連行時に、「バンタム級6位にもランク 身持崩した元ボクサー」と書いた。被害者が柔道2段の体力の持ち主だったから、警察が当初から目を付けていたことを裏付ける報道で、“ボクサー崩れ”の犯行という印象を深める報道となった。後にボクシング協会が袴田さん支援の活動を展開するきっかけになっている。もっとも朝日だけが判決の翌日の紙面で、先述の熊本裁判官の付言を報じているが、死刑判決が出ているので、時すでに遅しであった。

 こうしたセンセーショナルな犯人視報道が、裁判官の心証に影響を与え、裁判の行方を左右したと言えよう。熊本裁判官は後に手記で、もう一人の裁判官は有罪と主張するだろうが、裁判長は無罪とするのではないかと推測していたという。

 さて今回の検察側の抗告棄却、再審決定の前後の報道をみると、いったん再審開始の決定が出て、長年の拘留の結果、袴田さんが認知症を患っているせいもあり、報道のトーンはすっかり袴田さんに同情的となった。20日、検察の抗告断念が明らかになった朝日新聞の社説はこうだ。

 「誤った司法判断を正すことを先送りすべきでない。まして死刑冤罪では許されない。そんな市民の法意識に沿う決断だ」

 ここで言っている「市民の法意識」って何だろうか。相変わらずの市民感情、世論である。「誤った司法判断を正す」のは当然として、誤っているか、どうかは、裁判を通して事実を検証して判断される。まだ再審開始が決定されただけで、無罪判決がでたわけではない。司法の決断の根拠が、「市民の法意識」であってはならない。市民感情や世論はしばしば誤った報道によって左右されるからだ。

 一連の報道を見ていると、袴田さんを冤罪に追いやった責任の一端がマスコミにもあることを忘れている。だから、今回の再審開始の決定後も、読売と共同通信は、検察側が「特別抗告へ」という誤報を犯している。読売は特別抗告の理由として、「高裁の証拠評価には判例などに違反する重大な誤りがあり、最高裁の判断を仰ぐ必要がある」と書いた。その3日後、検察は特別抗告を断念したが、断念時の読売報道は、「特別抗告の要件は憲法違反か判例違反に限定されている」ためとしている。それでは先のような「特別抗告へ」という誤報が生じる余地はないではないか。この日の読売は自社の誤報についてお詫びどころか何の言及もなかった。誤報は、まるで検察が特別抗告した場合の世論の反響を探るためにリークした情報に乗せられたような記事でなかったか。

 もう一方の高市氏をめぐる捏造問題は、現職の総務相が調査の上で、捏造の可能性が少ないと答弁しているから、捏造かどうかという問題より、なぜ高市氏が「捏造でなかったら、議員辞職する」とまで、気色ばむのかがむしろ問題のポイントだろう。

 実際、当時の高市氏は総務相として、国会で、放送法が求める「放送の公正」について、「一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断する」から、「一つの番組でも極端な場合は政治的公平を確保しているとは認めない」と、公文書の描いたシナリオ通りの答弁を行っている。公文書では、この答弁が安倍首相(当時)の打ち合わせや総務省のレクチャーなどを経た結果としているが、高市氏はこれらの部分を捏造だと主張する。ならば、どのような経緯でこのような答弁になったのか、説明することが必要だろう。総理官邸や総務省の事務当局との調整もなく、このような重大な答弁を自身だけの判断で行ったのだろうか。それこそ大問題だ。

 高市氏のヒステリックな答弁に煽られてか、国会の質疑も報道も捏造かどうかに焦点が当てられてしまった。捏造発言の狙いは何だったのか。そもそも放送の解釈の変更こそが問題であり、その議論に入らせないための猫だまし発言だったのか。それとも安倍総理官邸の放送法、放送行政への介入を隠し、かばうことにあったのか。 

 もう一歩下がって考えてみると、10年近く前の公文書が暴露され、当時も色々論議されたものの、まかり通ってしまった高市氏の国会答弁がなぜ今ごろ問題になったのか、誰がこの公文書を野党の議員に手渡したのか、疑問は広がるばかりだ報道に関わる問題だけに、こうした疑問に答える“深層”報道であってほしい。

 国会終盤の質疑が、「この文書は怪文書の類い。捏造は配慮した言葉」(朝日29日付)という高市氏の高をくくった発言で締めくくられては、野党の追及も何とも歯がゆい結果に終わった。「捏造=辞職」にこだわる追及の戦術に問題があったのではないか。


◆ 高井潔司 メディアウォッチャー 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。