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見通しは暗い岸田政権

奥井礼喜
民主主義論の理解について

 岸田首相は、昨年の自民党総裁選で「民主主義の危機」を訴えた。わたしも安倍内閣時代から同じ表現の主張を続けているが、岸田氏の発言には違和感を覚えた。なにしろ、民主主義の危機を作り出したのは安倍内閣だからである。

 歴史的に自民党議員諸氏は、日本国=自民党という解釈である。自民党的民主主義は徒党的野合論であり、党内民主主義らしきものは派閥均衡主義である。普遍的・国際的に通用する民主主義論とはだいぶ異なる。

 菅氏が総裁再選を断念したのは、同氏では選挙で自民党が不利になるという党内の声である。岸田氏も、選挙第一主義だから、安倍・菅両氏がわが国の民主主義を傷つけたという認識はまったくないらしい。

 安倍・菅政治によって、議会が実質的機能停止をきたした。政治家の言葉が、信用されない事態を生んだ。トランプ政治ほど派手ではないが、選挙で選ばれた政治家がシーザー主義(独裁政治)に走ったのは明白だ。岸田氏はじめ自民党諸氏は、それに追従してきたのであり、それを批判しなかった。

 岸田氏ならびに大方の自民党議員は、「自民党政権の危機」だと考えたのであって、それを「民主主義の危機」と表現するのは飛躍が過ぎる。自民党の顔を変えても、同じ道筋を歩むのだから、これでは、わが国民主主義の危機は深まるばかりである。

 岸田氏は安倍・菅政治を総括しない・できない・する気がない。安倍・菅政治9年間のツケがたまっているが、それらを処理するらしき見解はまったく出さない。岸田氏の自民党総裁選勝利自体が、安倍氏の「アンダーコントロール」にあった。岸田氏は「新時代共創内閣」を標榜したが、意味不明であるし、すでに忘れられたコピーである。

岸田政権の幸運

 岸田政権発足後の10か月は、それにしてもラッキーだった。たとえばコロナ騒動。菅氏降板の引き金はコロナだが、岸田氏には人々の「感染慣れ」が大きく作用して、批判が起こらなかった。岸田氏は、20年からの感染対策を徹底検証して22年6月に司令塔を設置すると公約したが、お茶を濁すほどの検証もなく、全面的にサボタージュした。

 日本政治がいつまでも前進しないのは、やりっ放し政治だからである。PDCサイクルでいえば、設計段階での議論の半端さ、設計不十分である。実行しても全然検証反省総括しない。わかりやすいところでは、アベノマスクがお笑いネタで済む有様だ。少し注目すれば、こんな調子で国民・国家の安全を守られるだろうかと心配するのが普通である。

 だから、岸田氏がPDCのCをやると公約したのは、大きな意義がある。しかし、報道も、人々もあまり注目しなかった。もし、人々が関心をもち、サボタージュがわかった時点でコロナ感染拡大していれば、いかに寛容(=鈍感)な世論でも、相当手厳しくなったはずだが、感染拡大時期は参議院議員選挙後となった。感染対策分科会が4月から6月までメンバーからの要請があっても開催されず、コロナ感染への関心をそらしたのも見事に奏功したわけだ。

 また、参議院選挙投票2日前に安倍氏銃撃事件が発生した。またまた、岸田氏は「民主主義の危機」に決然と立つデモクラットの発言をした。暴力行為そのものが民主主義に対立することは事実であるが、原因となった事情は、選挙に役立てば、怪しい団体であろうがなんだろうが手をつなぐ、政治家の品行方正ならざる所業が原因しているわけで、政治家と怪しい宗教団体との結託を無視したのでは、的外れも甚だしい。

岸田政権の官僚思考

 閣議で国葬(国葬儀)を決定したのは、自民党内部の都合である。茂木幹事長が、国葬反対の声が聞こえぬと断言したのは、まことに率直だ。ここでも、党=国である。自民党が国葬したいのだから、国葬だというわけだ。

 岸田氏は少し考えたらしい。国=(本来)国民だから、国の儀礼=国民の儀礼である。ならば、突然不慮の死という物語に対する人々のお気の毒意識だけでは国葬の理由として弱い。そこで、国がおこなう儀式(形式)だから国葬儀なので、人々すべてに服喪していただかなくてよろしい。もちろん、安倍氏の政治的評価をしてもらう必要がないと、お粗末なつぎはぎ的答弁が生まれた。つまり、格別お付き合いがないご町内の葬儀並みという次第である。

 ものごとを法的におこなうには、大局から思索するものだが、はじめに国葬ありきで、ツジツマを合わせるという。目的と手段が転倒した仕業であって、こういうのは民主主義的ではない。国=自民党であるから、反対論は一切聞こえない次第である。その先には、非自民党員=非国民という傲慢さがちらちらする。自民党の暴走が危惧されるゆえんである。

 儀礼を形式論で逃げる官僚的作戦だが、これは本来からすれば正しくない。儀礼を表現するのは儀式である。

 儀式は英語ではritualである。語源はラテン語のritualisで、もともと、ものごとをおこなう際の正しい遂行・習慣を意味したそうだ。つまり、儀式が始まったときは、その内容と形式が合致していた。行動科学的表現では、「正しい遂行=コンテンツ(内容)+プロセス(形式)」である。

 文化人類学者によると、儀礼は――日常生活の言葉や普通の技術的道具などでは表し伝ええない、社会(集団)の連帯といった価値や、重大な事件(結婚・死)を明確に表現し、心に強く刻み込む働きをもつ――とする。

 形式は国葬ではあるが、故人の足跡などはどうでもよろしい。国民として服喪する必要がないのであれば、コンテンツはもちろん、プロセスもスカスカである。ラーメンを頼んだら、はい、おまちと出されたのがラーメンの器だけというようなものだ。

 日本人は、七五三は神式、結婚式はキリスト教式、葬式は仏式という、形式であればなんでもよろしいという気風である。国がおこなう儀式だから国葬だという説は、あまり気にならないかもしれない。ただし、それではいかにも間に合わせで、「国」が泣く。自民党的提案は「酷葬」の当て字が妥当だ。

岸田政権の難題

 国葬をおこなっても、安倍政治8年間の大きなツケは葬れない。岸田氏が本当に葬りたいもの(部外者の忖度だが)がすべて残る。これから岸田政権が順風満帆に航海できるかどうか。

 アベノミクスなるものは、金融緩和・財政政策・成長戦略の3本セットであった。なんといっても狙いは経済成長で、GDP600兆円を呼号したが、まったく及ばなかった。黒田日銀による2%インフレ・2年で達成も完璧な空振り。2012年民主党時代の1人当りGDPは48,600ドルだったが、安倍政権末期には39,300ドルにダウンした。

 日銀の異次元緩和は禁じ手の財政ファイナンスと株価下支えで効果を発揮し、ドルは80円から110円に下がった。円安だからなんとか黒字であるが、日本企業の実力低下は著しい。この時点で、ドル・円実質レートは過去25年間平均比25%安である。現在は130円台にある。アベノミクス3本セットは、3つの放漫という全貌を残して菅政権にバトンタッチした。

 世界の真ん中で輝く国を唱え、地球儀を俯瞰する外交を掲げたが、ロシアには適当にあしらわれ、近隣諸国との関係は不動の停滞である。安倍外交を大政治家の要件とするには、仕事の出来栄えはおおいに不足だ。

 理屈はどうでも付けられる。外交がうまくいかないのは、国内的には相手に責任を押し付けておけばよろしい。かくして東アジアは危険だから、安全保障に尽力するというご都合主義で、積極的平和主義の本体は、米国から巨額の武器を輸入することに尽きる。

 安倍氏は、なによりも米国お先走り外交を進めた。安倍氏への弔問外交儀礼はともかく、諸外国は、米国が関係する問題で、日本が独自性を発揮するとは考えていないだろう。

 安保関連法、集団的自衛権、特定機密保護法、共謀罪法案などの審議に見られたのは、議会の時間消化対策であって、強引な議会対策続きであった。

 国会が実質的空転状態に入ったのはすでに安倍政権4年目からである。安倍政権8年間の記録は、議会空転の記録と言わねばならない。官僚は理非曲直で動くはずだが、公僕意識の弱い官僚が多数派だから、簡単に安倍・菅コンビに抑え込まれて、堕落した。公僕たりえない官僚は、専制政治の執行者である。

 議会で自由闊達な議論がおこなわれないならば、議会の存在理由がないし、国民の政治に対する信頼が失われる。実際、野党が文句ばかり言うと反感をもつ人々が少なくないが、話が逆だ。安倍・菅コンビの不誠実な議会対策こそが問題の根源であった。政府・与党の不誠実な議会対策を見過ごせば、なるほど野党が審議を妨げていることになる。この見方が、すでに政治の堕落である。

 専制政治の最大危険、弱点は、官僚体制を含む政府全体が「頭」の言うことしか聞かず、大切な事柄があっても提言しなくなる。黙っているのが無難だからである。まして、諫言するなどありえない。

 岸田氏が引き継いだ政治は、負の遺産が多い。負の遺産の処理はとてもじゃないが容易ではない。財政再建がその最たるものである。

 財政危機は、1975年からである。竹下内閣の1988年に、国債はGDP比で52%だった。2009年には218.3%になった。歴代自民党政権は、いずれも財政再建を後送りしてきた。本気で財政再建に取り組むためには、国民生活を全面的に分析研究して、超長期計画を立てねばならない。

 いかに自民党が多数を制していようとも、本当に打って一丸とならなければ財政再建など夢のまた夢だ。まして、選挙戦の公約にするなど、政治界的常識では頭がおかしいことになろう。だからツケはどんどん溜まって、後回しされる。これぞ戦後長期政権を担った自民党の手法と、その結果である。

 2009年に民主党が政権を掌握した。直面したのは自民党長期政権の負の遺産である。政権運営の不手際に加え、東日本大震災が発生した。下野した自民党は復旧に全面協力どころか批判のための批判を繰り返した。民主党には、政権に就けばなんとでもやれるという幻想があったと思われる。戦後、長期間にわたって自民党が作ってきた結果を容易に変革できるものではない。

 2010年7月の参議院議員選挙で、菅直人氏は消費税引き上げに言及したが、メディアによる財政再建包囲網がその背景にある。もちろん財政再建は正しい問題認識だが、選挙戦で増税を打ち出して、人々の支持を獲得するのは大変な作業である。民主党は参議院議員選挙に敗北し、衆参ねじれ国会が現出した。今度は、決められない国会と叩かれた。次の野田内閣を経て、2012年には自民党が政権に復帰した。

 当時と比べれば、安倍内閣の8年間に、日本経済はさらに劣化した。岸田氏は、今後の3年間選挙なしで政策活動がやれるとの指摘があるが、本気で「新時代共創内閣」たろうとすれば、安倍政治のベクトルを変更するしかない。しかし、少し変えようとするだけでも、まず、自民党内部が一枚岩になるかどうか。大変な力業を必要とする。

 自民党は、昔から「自分党」と呼んだ。そこには、やや、おおらかなやんちゃ的意識があったが、いまは安倍政治8年間の後であり、リベラル色を大事にしていた時代の自民党ではない。岸田神輿を抱えて一致結束するとはとても考えられない。暴走を統御できるか。その見通しは非常に暗いだろう。


◆ 奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人