月刊ライフビジョン | メディア批評

感情より事実をしっかり伝えてほしい原発刑事裁判報道

高井 潔司

 福島原発事故で、検察審査会から強制起訴されていた東京電力の旧経営者3人に対して、東京地裁は無罪判決を言い渡した。判決公判は午後開かれたので、ニュースはまずテレビ報道からだった。各局トップニュースの扱いだったが、限られた放送時間のため、判決内容、それに対する被災者たちの怒りの声、「国の原子力行政を忖度した判決」と批判する検察官役を務めた弁護士の談話、そしてそっけない東電側のコメントを伝えるのみ。どこがどう忖度・不当判決なのか、被災者や弁護士側が発した怒りの背景がさっぱりわからない。

 そう思いながら夜9時のNHK「ニュースウォッチ9」を見終わったら、10時の「クローズアップ現代」が同じ裁判について取り上げ、判決は判決として、「裁判からは新事実が次々と明らかになりました」と詳しい解説を進めていった。

 番組でとくに取り上げたのは二つの問題だった。一つは東電の経営トップが一堂に会して地震対策などを検討する「御前会議」が07年以降毎月1回のペースで開催され、08年2月現場の地震対策責任者が津波対策が必要だという資料を提出していたとの事実が裁判を通して明らかになったという。なぜ東電は対策をとらなかったのかという疑問が浮かぶ。これを第一の問題としてNHKは解説した。

 もう一つの問題は、国が公表した地震の「長期評価」で最大15.7メートルの津波が襲う可能性があるとの予測を踏まえて東電も対策を検討していたが、他の原発企業では対策を取っていて、東電のような壊滅的な被害を免れたという事実も裁判で明らかになったという。なぜそのような対策とそれに関する情報が電力会社間のみならず、広く社会的に共有されなかったのかという二つ目の疑問が出てくる。

 二つの疑問に対するNHKの解説は後で紹介するとして、裁判を見守った被災者たちの怒りは、判決がこうした疑問に正面から答えていないことから生まれていることが見えてくる。また報道がこの点をしっかり伝えず、民放テレビのようにお座なりの報道をしていると、想定外の津波被害について、被災者たちが東電に無理難題をふっかけているという印象を与える報道になってしまう。もちろん未曽有の被害を出し、いまなお被害の最中に置かれている被災者もいるので、被災者に同情的な報道になってはいるが、東電や国、さらには不当な判決を下した裁判所に対する決定的な批判報道にならない。

 クローズアップ現代の解説(インターネットでも概要を公開)はこうだ。

 最初の現場報告を東電幹部が真摯に取り上げなかった問題。幹部側は御前会議が何かを決定する会議ではなく情報共有の場だったと言い逃れをしている。そして国の長期評価は根拠がなく、土木学会に再検討を依頼するという問題の先送りを採用してしまった。しかし、現場はさらに08年7月、原子力・立地副本部長に対する説明会でも、防潮堤の建設などが必要という資料を提出した。建設には数百億円規模、完成まで約4年かかるという資料だ。副社長でもある副本部長はここでも土木学会に今一度検討をと、問題を先送りし、危機感を募らせる現場を失望させた。この副社長は公判で、「私は決定権限がない副本部長だったわけでありまして、それが大きなことを決められるわけもない」と言い訳した。

 ここに東京電力という大組織の無責任な体質が現れている。そもそもご聖断も下せないような人物が集まって御前会議と称するのは、戦前なら不敬罪に問われるぞと皮肉の一言も入れたくなる。部下たちの証言では御前会議で諮られたことがその後、反故にされることはなかったと証言しているのだが、公判で幹部たちは「単なる情報共有の場」と言い逃れする。じゃ、一体情報共有して何をするのか。御前会議というなら当然、情報を共有してそれなりの対策を作成するのが流れであろう。「私には決定権限がなかった」という副社長。その発言はとりもなおさず、対策の必要性は認めていることになる。あまりに巨額の対策費に怖気づいて問題を先送りしたのだろう。だが、実は、土木学会に再検討してもらおうという先送りの「決定」を行った。それを決定したという自覚がないだけのことだ。

 このあたりの言い訳を裁判所はどう判断したのか。恐ろしいことに、大地震を予測した国の長期評価について、信頼性の根拠がなかったと認定、それが証拠にどこの自治体も長期評価を基に対策など立てていなかったと判決はいう。原発という二次災害においては決定的な“爆弾”を抱える電力会社と自治体を同一レベルで考えるのもおかしいし、対策を立てなかった自治体だって本来問題なのだ。かの大震災の後、南海トラフをはじめ様々な予測が出て、どの自治体も真剣に地震対策に取り組んでいる昨今、長期評価に信頼性がなく、対策を取らなくても問題なしとは、全くの屁理屈、国民の神経を逆なでする社会常識ゼロの裁判官による判決ではないのか。

 御前会議の対応についても判決は幹部側の主張を全面的に認めている。その上で、判決は「事故前の法規制は、絶対的な安全確保を前提としてなかった」とまで言い切った。

 判決がいうような絶対的な安全確保とまでは行かなくとも、原発建屋の防水、非常用の補助電源の高台への移転など東電は次善の策が取れたはず。実際、裁判を通して明らかになった二つ目の事実は、地震予測をまじめに受け止め対策を取っていた原発があったことだ。福島第一原発から、約110km南に位置する日本原電東海第二原発。「地元・茨城県の想定に基づく対策も行っていました。東日本大震災では、従来の想定を超える6.2mの津波が襲来。原子炉の冷却に必要な設備を動かすポンプが浸水しましたが、大きな事故には至りませんでした」という。判決がもっとこの事実に注目すれば、東電幹部の先送りと無作為の責任が問われるはずだ。

 日本原電の原発でも防潮堤の建設が検討されたが、やはり巨額の費用と時間を要するということで、「『盛り土』と『建屋の防水対策』という複合的な対策を進めた」という。ところが、「こうした事実は社外には一切、公表していませんでした。その背景には、原子力業界にある“横並びの意識”があったことが取材から浮かび上がってきました」とクローズアップ現代はもう一つの問題点を指摘する。横並びの問題は、のちほど新聞の項で詳しく指摘するが、日本原電をはじめ他社の取り組みについて、公表しないよう、東電側は他社に圧力を加えていた。日本原電の取り組みは東電にとって不都合な真実であり、それが社会的に明らかになると、裁判で東電側に不利に働くから圧力を加えたのだ。

 判決は仮に東電が防潮堤の建設を採用しても2011年3月の大津波には間に合わず、原発を停止する以外には手はなく、それは地域への影響が大きくできないと、すべて決めつけている。だが、他の電力会社のように次善策も検討できたはずで、リスク管理や危機意識が3人の幹部に欠けていた。

 クローズアップ現代は正面から判決を批判する内容ではないが、このように裁判を通して明らかになった事実をきちんと伝え、今後の原発再稼働にあたっての教訓を明らかにしていた。というわけで、私は裁判をもっと詳しく解説してくれるであろう、翌日の新聞を期待して、待っていた。

 各紙とも一面トップの扱いに加え、二面、三面の背景解説、それに社説や社会面なども使って詳細な報道をしているが、NHKのような問題意識を感じさせる記事は少なく、単にニュースは消費されてしまったなという印象をぬぐえなかった。とくに朝日は判決を正面から批判する記事は多いのだが、どこがどう問題なのか、ポイントはまるでわからぬ記事ばかりだった。

 とくにひどかったのは編集委員が執筆した一面の「視点」。「対策がすぐに必要だと言っている人は誰もいなかったので、東京電力の旧経営陣の責任は問えない――。東京地裁の判決はそう言っているに等しい」という書き出しで始まる。おいおい、裁判では現場担当者が対策の必要性を訴えたのに、経営陣がそれを取り上げなかったというのがポイントではないのか。記事は経営陣だけでなく、東電全体の体質の問題にすり替えてしまっている。中段でも「強制起訴によって実現した法廷には、東電社員らのメールや会議の議事録が証拠として提出され、関係者も次々と証言した。政府と国会の事故調査委員会でもはっきり分からなかった、東電社内の動きを検証する場となった」と書いているのだが、ではどんな動きが明らかになり、どう検証されたか、具体的な指摘が一つもない。その上で「そこで見えたのは、原発の停止を避け、いかに軟着陸させるかを探る組織の姿だ。高い津波予測を表にださないよう、つじつま合わせの理屈を練り、他の電力会社や専門家の根回しに走った……」と、確かに批判的な視点はあるのだが、指摘がすべて抽象的であるため一般の読者に対して説得力がない。

 この日の朝日は32面を全面つぶして、イラストや年表も入れ、判決の要旨とその解説を入れているが、クローズアップ現代のように、問題点にしっかり焦点を当てた解説でないため、無味乾燥。編集委員の一面の視点の不足をカバーできる作りになっていない。朝日の場合、一般記事よりも社説の方が事実を挙げて主張を展開する作りになっていた。

 同じく原発慎重派の毎日新聞の記事も、判決や東電を批判しているのだが、焦点の定まらない記事ばかり。その上で、毎日独自の記事として、「強制起訴、有罪2件のみ」なんて記事を読まされると、無罪判決も無理ないなと妙に納得させられる。社説もひどい。「信頼の回復へ努力継続を」という見出しで、書き出しは「刑事裁判のハードルの高さを示した判決だった」では、「長い物には巻かれろ」という気分にさせられるだけだ。

 むしろ原発推進派の読売の紙面の方が読みがいがあった。「ゼロリスク求めなかった判決」という社説は、「刑事裁判で個人の過失を認定するのは、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ」とした上で、「当時の原発の安全対策に『ゼロリスク』まで求めなかったのはうなずける」と主張する。その主張は受け入れ難いが、主張の根拠を丁寧に説明している姿勢は共感できる。その上で、読売は「刑事責任が認定されなかったにせよ、原発事故が引き起こした結果は重大だ。想定外の大災害だったとはいえ、東電の安全対策が十分だったとは言い難い」と論点を転換させ、東電の責任を論じている。そして、「津波対策が必要だと考えていた」と証言した部下もいた。危機感が共有されず、組織として迅速な対応がとれなかった実態が浮かび上がった。公開の法廷で、原発の安全対策に対する経営陣と現場との認識のギャップが明らかになった意義は小さくない。大切なのは裁判で得られた教訓を今後の対策に生かすことである。東電や国は最新の科学的知見や信頼できる研究データに基づき、事故を低減させていく努力を怠ってはならない」と指摘している。「信頼の回復を」などという抽象的な議論でお茶を濁す毎日社説よりはるかに真っ当である。

 読売はその上で、解説面で「原発規制強化 『想定外』との闘い」との見出しで災害発生後の政府をはじめ電力会社の取り組みを紹介している。原発推進を主張するにしても、当然のことながら、災害防止対策を検証する作業がマスコミにも求められる。その姿勢の一端がうかがえる。原発慎重派の新聞社には、もっと問題に密着した取材と報道が望まれる。

 同じ慎重派でも、東京新聞の社説は、地震対策を求める現場と東電幹部のやり取りを書き込み問題点を突っ込んでいた。そして「08年、長期評価に基づいて津波想定の見直しを進めていた東北電力に(東京電力側が)メールを送り、津波対策を見直す報告書を書き換えるよう圧力をかけた」とも指摘している。東電は無作為どころか、津波対策を進めていた他社の動きを公表させないように圧力をかけ、自社の怠慢を隠そうとしていたのだ。

 朝日の社会面は、「トップの責任なぜ問えぬ」「『多くの証拠、示したのに』」と被災者の怒り、失望を他社より大きく伝えている。それは誠に結構なことだが、その証拠のポイントはどこにあるのか、それをしっかり伝えなければ、一日たてばもうニュースは消費され、忘れ去られていくことになってしまう。


高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。