月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

私のメディア論 最終講義

高井潔司

 3月に定年退職を迎える。友人、知人から最終講義はいつかと聞かれることが多い。最終講義では、退職を前に、教員生活を総括するような講義を公開で行うのが通例で、卒業生や他大学の友人も多数参加してくれる。いま所属している大学ではこの行事を採用していない。事情は定かではない。ただでさえ欠席や居眠りの多い講義をわざわざ設けても、かえって退職教員に失礼になるという配慮かなと邪推してしまう。このご時世、なくてもいいかなとも考える。

 とは言え、27年間の記者稼業を辞め、大学教員に転出して違う角度からメディアを考えて20年。私にもそれなりに感慨があり、急きょ担当する3年生のゼミ生を相手に、「最終講義」と銘打って、私なりのメディア論を総括する授業を行った。彼らにできれば次年度卒論を書いてもらいたいと考えているので、講義では彼らのメディアへの好奇心を引き出し、ヒントになる内容にと、できるだけ単純明快に、5枚のスライドにした。以下スライドを紹介し解説を加えて、「コミュニケーション研究室」の読者の皆さんにも、最終講義として提供したい。


スライド1 メディア・情報は作られたもの


メディアが発信する情報は本当の出来事、事実に似せて作られた疑似環境である。

・メディアに掲載するには、文字や画像、動画などの記号、信号を使う必要がある。

・記号にするためには、事実を省略、選択する必要があるし、逆にデフォルメ(変形、歪曲)することも可能である。

・選択、デフォルメには、意図、主観、立場が含まれる。

・したがって、メディアを観察、分析する場合、どのような意図、立場で、記事や番組が作られたものかを考えよう。

<解説> 学生の中には、メディアが報じているものを鵜呑みにして、それにすぐ反応し喜んだり、悲しんだり、歎いたりする。あるいは、明らかに作られたもの、虚偽であるとわかると、客観的であるべきだ、中立であるべきだと反発する。メディアがデジタル化され、ツールが精密になればなるほど、信じ切って受け入れてしまう。

 しかし、ツールがいくら進化したとしてもメディアに情報として載せるには、出来事、現象、事実を記号化する必要がある。本物の出来事、現象、事実が鏡のように映し出されるのではなく、一部を選択し、切り取って伝えざるを得ないのだ。そして、どう、何を選択するかは、制作者の意図や立場が反映される。また場合によっては、制作者の意図で、情報を変形させることもできる。

 したがって、メディアを分析する時には、メディアが伝える情報にすぐ反応せず、どう作られているのかを考えることが大切だ。そうしてこそ分析は、感情論ではなく、科学にまで高めることができるし、また自身が制作者の側に回る時に大いに役立つことになる。


スライド2 メディアの効果を考えよう


・メディアとは情報を発信すること、情報のやり取りを通じて、人々をつなぐコミュニケーションのツール(道具)である。

・受け手は、同調し受け入れる(共有)ことから、反発し拒否することまで様々な反応がある。情報を受け入れ、娯楽になる場合も、新たな知識として吸収する教育的な効果もあれば、危機に対する警告として受け止め、その対策を考えることができる。報道、教育さらには宣伝、広告にも利用。

・コミュニケーションを通じて人々は仲間、グループ、組織、社会、国家を形成し、さらに仲間ではないをも作る

<解説> 情報過多の時代に入って、情報に呑み込まれ、情報は消費され、通り過ぎるだけで、何も機能していないと感じられる昨今だが、振り返ってみれば、情報は様々な効果を生んできた。一方、情報過多という現象も情報やメディアに対する「無関心」、「無反応」という効果を生んでいると言える。

 情報とメディアは、コミュニケーションツールとして、仲間、グループを形成してきたし、その副次的効果として「敵」も作ってきた。次のスライドで見るように、メディアの形態によって効果も異なり、それによって形成される社会の形態も異なっている。個々の情報やメディアがどんな効果を及ぼしたかは、メディア論の重要な研究項目である。


スライド3 メディアによって効果はまちまち


・人類はさまざまなメディアを発明し、発展させてきた。

音声から言葉、から文字、写真、動画。

・パーソナルなツールから、言葉や文字を複製して多くの人が同時に利用できたり、より早く運ぶツール、よりリアルに感じられるツール、さらには一方向だけでなく、双方向で受発信できるツールへと進化してきた。

印刷(出版物、雑誌、新聞=市民革命、民主主義、個人主義、科学、産業革命)、ラジオ、テレビ(大衆社会、戦争動員)などのマスメディアからインターネット(個衆社会、分断社会?)へ

<解説> アルタミラの壁画からインターネットまで人類はメディアを発展させてきた。メディアによって形成される社会の形態、性格も、メディアの形態によって、大きな違いがある。中でも印刷術の発明は「グーテンベルグの銀河系」と呼ばれるほど人類の歴史にとって、別の宇宙を生み出したのかと錯覚するほどの革命的な効果をもたらした。宗教改革を触発し、市民革命を演出し、民主主義や個人主義、科学・産業革命をもたらした。もちろんメディアの効果だけではないが、相互作用によってメディアの効果は大きくなった。そして、メディアはより多くの人に利用されるようになり、人類を大衆社会へと導いた。

 近年のインターネットの出現と爆発的な普及は、新聞等のマスメディアの存在をも危うくしており、マスメディアが作り上げてきた政治や経済、社会のシステムをも破壊し始めている。インターネットがどのような政治や経済、社会のシステムを作り上げていくのか。あるいはインターネットを人類がどう制御し、いかなる社会を作っていくのか、興味深い。


スライド4 情報は価値を持ち、現代のメディアはビジネスである


・人々は正確な情報、いち早い情報に金を払う。情報には価値がある。それによって金儲けもできる(商品相場、株式情報)。19世紀、通信社、新聞社の発展はそこから。

・面白い情報ももちろん価値を持つ。沢山の人が利用することによって広告を掲載する価値も得た。

・20世紀、新聞などマスメディアは企業化され、産業となっていった。

・20世紀後半、オタクたちのコミュニケーションツールとして開発されたSNSが、21世紀GAFAという巨大ビジネス企業に化けた。

・現代のメディアを考察するとき、どのようなビジネスモデルを描いて機能しているのかを考える必要がある

・進行中のインターネット革命の行方は

<解説> 情報は作られたものだからこそ価値を持つ。正確な情報、美しい情報、面白い情報など。20世紀それは産業として確立された。沢山の人が利用することによって、広告の価値も得ることになる。オタクたちのコミュニケーションツールとして開発されたSNS(ソーシャルネットワークサービス)、中国語では「社交網」と翻訳されているが、適訳だ)。多くの人が参加することで、それ自体巨大なデータベースとなり、また巨大な広告ツールにもなっている。どのようなメカニズムで巨大なビジネス企業へと化けたのか。

 今後、どの様な革命を人類にもたらすのか、興味津々だ。


スライド5 ジャーナリズムはどう受け継がれるか


・第1次、第2次世界大戦を経て、マスメディアはその反省から、報道の自由だけでなく、責任を持つメディアという発想に転換した。

・大きな影響力を持つ新聞、テレビ、ラジオ、雑誌といったマスメディアは、社会において情報発信の責任を持つ、公共性を備えたメディアであるべき。それを担うのがジャーナリズム。金儲け目当てのメディアもあり、その見極めが大事。

・ジャーナリズムは社会、経済、政治の動向を観察し、社会が知るべき情報を発信(議題設定機能、政府監視機能)し、それをどう考えるべきか世論を形成する機能を持つ。同時に報道に対して説明責任も持つ。この機能を果たすには取材組織が不可欠。

・インターネット社会において、ジャーナリズム機能を担うメディアの創設が課題。ネットのニュースメディアの現状は、広告収入依存のアクセス至上主義、したがって読者迎合主義で、取材組織も持たず、ジャーナリズム機能を持っていない。

<解説> ネット利用者の中にはネットのニュースメディアの方が、情報が早く、スマホさえあればどこでも利用できる便利なツールと手放しで礼讃する人がいるが、ネットのメディアはそもそも取材組織を持たず、新聞等のマスメディアが速報したものを転送したり、リンクを張っているに過ぎない。責任ある報道、とりわけ、国民、社会が知るべきニュースを報道し、政府のありようを監視するジャーナリズム組織の体をなしていない。そのことが社会的な無関心や社会の分断をもたらしている。

 アメリカなどではネットのメディアが従来の新聞等のジャーナリズムを代替する方向に動いているが、日本では遅々たるあゆみに過ぎないし、現状に対する危機感もない。今後、どの様な展開になっていくのか。とりわけ日本のケースが注目される。

 以上が私の最終講義。これまで常日頃話してきたことなのだが、手短に整理したことで、ゼミの学生には好評だった。触発された跡がよく見えるリアクションペーパーを送ってきてくれた。最終講義はやってみるもんだとつくづく感じる。

<追伸> もうこれで私の仕事は終わったわけではありません。目下、公益財団法人「新聞通信調査会」発行の月刊『メディア展望』に連載中の「大正デモクラシー中国論の命運」(2月号で第7回)は、まだ1,2年は続きそうだし、3月には北京大学の現代日本研究コースで、「日中メディア比較論」の集中講義があり、その講義録作りに追われています。


高井潔司 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。

 本コラムは次号から、高井潔司氏による「メディア批評」と衣替えします。引き続きご愛読下さいませ。(編集部)