月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

無気力とあきらめ――罪深い政権の長期化

高井潔司

 8月は安倍政権にとって試練の月ではなかったろうか。ヒロシマ、ナガサキの被爆記念日、続いて15日の終戦記念日。首相としてはそれぞれの式典に出席し、あいさつをしなければならない。今年は首相にとって例年以上の様々な圧力を感じたのではないだろうか。その圧力をものともせずというか、見事に跳ね返し、秋の総裁選に臨むことになった。3選出馬については、「蝉時雨の声を聞きながら気力、体力と相談してじっくり考える」と殊勝なことをおっしゃっていたが、まあお見事に8月の試練に堪えられた。その強靭さには恐れ入りましたとしか、言いようがない。

 報道によると、今年は特にグテーレス国連事務総長が国連トップとして初めて長崎の平和祈念式典に参列し、あいさつで、核保有国が核兵器の近代化に巨額をつぎ込む一方、核軍縮は「プロセスが失速し、ほぼ停止している」と懸念を表明。核保有国に対して「核軍縮をリードする特別の責任がある」と強く訴えた。地元の田上富久市長も日本政府に対し、国連で昨年採択された核兵器禁止条約に賛同するよう求めた。これに対し、首相は「核兵器国と非核兵器国双方の協力をえることが必要だ」と述べるにとどまった。

 また終戦記念日の式典は、平成天皇が最後の出席とあって、例年にもまして、天皇、首相のあいさつに注目が集まり、マスコミでは二人の発言ニュアンスの違いについて、関係者のコメントを交え、詳しく報じた。天皇陛下のお言葉は「戦後の長きに渡る平和な歳月に思いをいたしつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と、例年とほぼ同じ内容だったが、万感を込めてのお言葉に関係者の心に響いたようだ。例えば朝日新聞はこんな声を伝えている。

 沖縄戦で父や姉、弟ら家族5人を亡くした照屋苗子さん(82)は「最後のご出席。追悼の姿を心にとどめたかった」と式に参列した。ゆっくりと「おことば」を読み上げる様子に「一言、一言に思いをこめてらっしゃる」と感じた。

 沖縄県遺族連合会長などを務め、沖縄で5度、陛下を出迎えた。「どうして昭和天皇は戦争を止めてくれなかったのだろう」。以前はわだかまりがあったが、陛下から言葉をかけられる度にほぐれていった。「沖縄に深いお心があるのだとわかりました」

 長崎市の浅田五郎さん(80)は初めて追悼式に出席した。国民学校2年のとき長崎で被爆。兄はニューギニアで戦死した。遺骨は帰っておらず、戦争はまだ終わっていないと感じていた。それだけに、平和を祈り続ける天皇陛下の姿勢に感銘を受けてきた。「おことば」には、戦争を身をもって知るからこそ胸に響くものがあると感じた。「この場に来られて感無量。新天皇になる皇太子さまにも、そして多くの人々にこの陛下の思いが伝わって欲しい」

 これに対し、首相の式辞に関して、新聞報道では、1993年の細川護熙氏以降、歴代首相がアジアに対する加害責任について触れ、「深い反省」や「哀悼の意」などを表明してきたのに、安倍首相は2013年以来、一貫してアジア諸国への加害責任について言及していないとし、冷ややかな論調が目立った。朝日によれば、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない」と述べたが、「歴代首相が繰り返し述べてきた『不戦の誓い』との表現も13年になくした」とその後退ぶりを伝えている

 要するに、核軍縮についても、平和構築の問題にしても、あるいは沖縄の基地負担軽減、北朝鮮の拉致問題にしても、“外交の安倍”と称しているにもかかわらず、全く何の成果も挙げていない。それどころか、問題解決のための取り組みすらしていないことが明らかになった8月ではなかっただろうか。もちろん支持率はなお40%前後を記録し、支持者もいるのだが、これほど個別の重要政策で民意を反映していない政権も珍しい。その“苦境”をものともせず、虚言と強弁で乗り切ったのである。(尊敬すべき首相の発言ですから、ここでいう虚言とは、ウソではなく、空虚で、空しい、そらぞらしい発言と捉えて頂きたい。巧言令色すくないかな仁)

 なぜこのような虚言と強弁がまかり通るのか。まず政権を支える与党が党内独裁によって金縛りにあって批判の声を挙げられないという事情があるようだ。総裁選で唯一の対抗馬となりそうな石破茂氏が文芸春秋9月号で「安倍総理よ、命を懸けて私は闘う」と宣言した論考の中で、総裁選を迎える党内の空気をこんな風に紹介している。

「(出馬を見送った際の)岸田さんの安倍総裁支持について『扉が閉まる前にようやく駆け込んだ』とか、『岸田派は人事で徹底的に干せばいい』『今頃になって何だ』といった声が出ているとされています。これが本当だとすれば、そんな自民党は恐ろしく嫌です。それは不遜であり傲慢です」

 つまり、岸田派も、その後安倍支持を表明した石原派も、選挙に候補者を出したりしたら、選挙後、人事で報復されると恐れているのだ。実はこの石破氏の安倍圧力の記述も「報道によれば」という但し書きが付いている。「石破が根も葉もないことを言っている」と更なる圧力を避けるための方便である。そこまで党内で“恐怖政治”が広がっているということだろう。

 これでは“安倍一強”ではなく、“安倍独裁”であろう。この春、中国が憲法改正で国家主席の三選禁止条項を削除したことに対して、日本のマスコミは「習近平独裁」だと騒いだが、安倍三選では何の批判もなく、「安倍一強」とむしろ賞賛のムードにさえある。石破論考では、「反軍演説」で知られる斎藤隆夫代議士を取り上げ、その正論に議場では拍手を送りながら、演説から除名決議が採択されるに至った経緯を紹介し、「忖度と保身に走る人間も、時代を問わずいるものだ」「『反軍演説』の昭和十五年そっくりになってきた」と危機感を露わにしている。同じ与党の人間とは思えないほどの危機意識だ。だが、石破氏の警告にもかかわらず、状況は変わりそうにない。

 その理由を石破論考に続く御厨貴・東大名誉教授の論稿「安倍モヤモヤ政権をSNSとダメ野党が救う」が見事に解説している。御厨氏は「モリ・カケ問題」を例に、「これだけのスキャンダルが発生したならば、昔ならとっくに政権は崩壊していたはずですが…政権は微動だにしない」と指摘し、「なぜそうなるのか。…安倍政権にどんなに問題があっても、かつての民主党政権よりマシだと。この『民主党はダメ』というイメージは非常に強固なものです」と説明している。

 先月号の本コラムで、日本が議論をしない民主主義国家に陥っていると指摘したが、まさにこの自民党総裁選をめぐる自民党内の空気がそれだ。それは筆者の妄想ではない。8月22日付けの朝日は総裁選の日程決定を受けた解説記事で、「論戦したい石破氏」「敬遠したい首相側」と舞台裏を紹介。「票固め着々、『討論しても仕方ない』」という首相周辺の声を伝えている。これも朝日だけの妄想ではない。同じ日の読売でも、「石破氏焦がれる直接討論」という見出しで、「首相の陣営には『政権批判を繰り返す石破氏と並ぶ機会は少ない方がいい』(派閥幹部)と討論会などに慎重な意見がある」と報じている。選挙というのに、議論を避ける。これが「自由民主」党の主流の考えなのか。

 石破、御厨論稿がいくら見事に現状を解説してくれても、日本の閉塞状況に変わる所はない。たとえ安倍首相にとって長期政権の目標は達成できたとしても、この激動の時代、内外の諸問題で迅速かつ適切な対応が求められる。そのための議論もしない。自民党内はもちろん、国民を、ここまであきらめと無気力、無関心に追い込んでしまって、いざという時、安倍首相に付いていく人はいるのだろうか。民主主義の基本を外してしまった罪は深い。


高井潔司  桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。