月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

「決め打ち」できない日本のもどかしさ

高井潔司

 9月23日各紙朝刊は、日銀の植田総裁の記者会見を一面トップで伝えた。内容は「日銀金融緩和継続」、「物価目標『見通せず』」(読売の見出し)と各紙似たり寄ったり。もちろん物価高に悩む国民としては日銀がいつ金融緩和策を修正するか、関心が高い。だが、今回も何ら新味のある会見ではなかった。それをなぜ一面トップで扱うか、理解できない。いや、それほどのニュース価値があるなら社説を掲げ、しっかりと論じてもらいたいが、どこも社説を書いてもいない。

 私は経済専門家でもないので、この問題を正面から論じる資格は元よりない。気になったのは「現時点では経済、物価をめぐる不確実性は極めて高く、政策修正の時期や対応について決め打ちできない」(朝日の一問一答)という総裁の発言のうちの「決め打ち」という言葉だ。これは経済人が使う専門用語なのかと調べてみたが、手元の辞書には、①囲碁やマージャンで、この手しかないと決めて打つこと②、あらかじめ決めて行動すること、とあった。ただ決めるというより、はっきりとした意志を持って実行するという決断のニュアンスがあると判断した。

 そう解釈すると、総裁に就任してから間もなく半年。この間、円安が進み、石油などの輸入価格の上昇で、物価は目標の2%どころか3%を超えるというのに、何ら手を打てない人が、「決め打ち」などという威勢のいい表現を使うのはいかがなものかという思いに駆られた。植田氏だけではない。首相をはじめ主要閣僚たちは、このところ「必要とあれば、躊躇なく、適切に、断行します」「間断なく、柔軟かつ機動的な対応を…」などと大袈裟な表現を使いながら、結局、その場しのぎの発言で終わるケースが目立つ。

 異次元の金融緩和を10年もやって来て、何ら目標を達成できず、その副作用に国民が苦しんでいるというのに、日銀及び政府は手をこまねいているのが現状だ。実際のところ、植田氏の立場はこっちを立てればあちらが立たず、どうしたもんか、私には手の打ちようがありませんというのが実情だろう。

 そのことがよく理解できたのは、毎日の24日朝刊2面コラム「時代の風」だった。藻谷浩介日本総合研究所主席研究員の執筆、タイトルは「行き過ぎた円安 政治家主導のツケ」だ。

 「1米ドルが140円台後半という、極端な円安が続く。世界銀行算定の購買力平価ベースのレート(物価が同じように計算したレート)では、1米ドルはおよそ100円なので、円安は5割近くも行き過ぎだ」で始まるコラムは、データや数字をふんだんに使ってわかりやすい。

 例えば原発事故の発生、再生エネルギーの増加、省エネ車の普及で、化石燃料(石油、石炭)の輸入量は2010年と22年とでは一割減少したが、輸入額は21年の15兆円から22年には31兆円に跳ね上がったという。

 「円安は輸出を増やす。1ドルが平均110円だった21年と、平均131円になった22年を比較すれば、輸出82兆円から99兆円へと17兆円増加して、史上最高を更新した。しかし輸入も81兆円から115兆円へと34兆円も増え、貿易収支は大幅な赤字に転落している。過度の円安はかえって国際収支を悪化させるというのが、令和の現実だ」。

 その上で、藻谷主席研究員は、「本来は、欧米に倣い金融緩和を手じまいすることで、円高に誘導すべきタイミングだ。だが緩和を見直すと金利が上昇し、国債や株式の市場価格が下がる。これは国の財政難や株式不況を引き起こしかねないのみならず、日銀の財務内容も大幅に悪化させる。日銀は、国債や株式を大量に買い込むという先進国はどこもやっていない禁じ手を、第2次安倍政権に強いられてしまったからだ」と、アベノミクスからさらに「国民があきらめるまで目くらましをし、目先の課題をしのいでいくか、ということにエネルギーを注ぐ」官僚主導政治批判を展開する。これ以上の引用は著作権違反にもつながるので、興味のある方は是非、毎日本紙やネットでお読みください。

 それにしても毎日新聞だって、これほど明快な立場を取る藻谷氏のコラムを掲載する位なら、もっと自社取材で問題を掘り下げてもらいたいものだ。

 「決め打ち」できないのは、植田総裁だけではなさそうだ。マスコミだってそうじゃないかと感じたのは、9月22日付各紙の「ヤフー優越的地位の可能性」「対メディア記事の使用料 公取委指摘」(この見出しは朝日、公取委の発表記事なので他紙もほぼ同様)の記事を読んだ時だ。

 朝日新聞を引用してみよう。書き出しはこうだ。「公正取引委員会は21日、ヤフーなどのニュースプラットフォーム(PF)事業者と、記事を提供する新聞などメディア各社の取引実態の調査報告書を公表した。消費者がPF経由でニュースを読む機会が圧倒的に増えるなか、特にヤフーについて『優越的地位にある可能性』を指摘。記事の使用料が著しく安い場合は『独占禁止法上問題となる』と警告した」。

 誠に中立、客観報道だ。当の新聞社の一方の当事者であることを感じさせない。これまで記事の使用料がいかほどか、安いからPFと交渉しているとか、ましてやヤフーが優先的地位を利用しているとか、報道で見たことも聞いたこともない。各紙とも一面だけでなく、二面や三面を使って、解説や専門家のコメントを掲載しているが、自社の立場や自社とPFとの交渉などについて全く触れていない。まさか「無冠の帝王」と称されるほどの権威を持つマスコミがヤフー一社に屈するとはとても思えない。新聞社出身の私は、以前、2000年代に編集幹部を務めた後輩と飲んだ時、ヤフーとの契約の話を聞いたことがある。「配信料は今から見ればとんでもといタダみたいなもんだけど、当時はまさかヤフーにこんなにやられるとは誰も想像しなかったんです」と後輩がぼやいていたのを思い出す。この間、各紙とも発行部数を半分近く減らしている。新聞発行は赤字、多くの新聞社が不動産業などで補填しながら紙の新聞を出しているのが実情だ。

 それにしても自社の台所事情は全く見せない見事な報道。今回の報告書のとりまとめは、当事者として声を挙げず、公取委に裏から圧力をかけやらせたのではと憶測したくなるような内容だ。

 そんなこんなも結局、世界のメディアはインターネット時代に入って変革を断行しているのに、日本の新聞社は今後どう生き延びるかという「決め打ち」ができず、「宅配」システムという過去の成功ビジネスモデルに寄り掛かって、紙の発行を続けているからだ。その結果、ほとんどの読者はヤフーなどのPFを通してニュースのダイジェスト(簡略版)を読むだけという習慣が定着しつつある。公取委の報告書は「ニュースが国民に適切に提供されることは、民主主義の発展において不可欠だ」としているが、日本の現状はそんな理想からほど遠くなっていることは言うまでもない。

 日本のマスコミは、むしろいまやPFに依存している。読売22日付第3社会面にメディア関係者の代表が一堂に会する今年度のマスコミ倫理懇談会の大会に関する記事で、こんな議論を紹介されていた。

 「西日本新聞(福岡)の相本康一・クロスメディア報道は、同社のウェブサイトを紹介。通常は外部に配信しない記事でも、特に社会に拡散させたい独自記事などは、より多くのネットユーザーが読めるようヤフーに記事を提供することがあるという。相本氏は『(ヤフーのような)プラットフォーマーの力を借りながら自立を目指していく』と語った」

 良くも悪くも影響力を持つインターネットを、新聞社がどう使いこなしメディアの変革を図っていくのかの戦略を「決め打ち」する時期に既に入っている。

 朝日にコメント寄せた奥村倫弘東京都市大教授も「報道各社がプラットフォームへの依存から脱し、自社のサブスクリプションの強化など、変化に対応した経営が求められる」と述べている。

 もはやダメだと気づいているのに、新しい戦略を「決め打ち」できないって、皆さんの周辺にございませんか?


 高井潔司  メディアウォッチャー 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職