月刊ライフビジョン | 論 壇

主体性が怪しい日本の外交

奥井禮喜

冒頭の激しい応酬

 3月18~19日、バイデン政権になって初めての米中高官協議がおこなわれた。トランプ政権が、世界貿易に二国間主義をとり、対中貿易に制裁を発動し、その大波が世界中に及んでいただけに、高官協議についての関心は低くなかった。もちろん、バイデン政権がパリ協定に復帰したように、米中関係が一挙反転して和気あいあいになるなどと想像した人はいないだろうが、前政権が破壊した米中外交がいかなる展開を見せるのか、世界中で注目されたはずである。

 ブリンケン氏が、開口一番、中国は、新疆・香港・台湾・米国へのサイバー攻撃・米国の同盟国への経済的強要などを列挙し、もって世界の安定を維持しているルールに基づく秩序を脅かしていると続けて、米国の立ち位置を単刀直入に語った。これを受けて楊潔篪氏が、米国は、軍事力と金融覇権で貿易取引を妨害・人権侵害が最悪・米国の意見が世界を代表しているわけではないなど語ったのも歯に衣着せぬ物言いだった。

 売り言葉に買い言葉、押せば押せ、声高には声高、目には目を歯には歯を。いろいろな表現があるが、ベテラン外交を自負する中国としては、新人・国務長官のブリンケン氏をなだめたり、いなしたりせず、対等に受け止めて恥をかかさなかったという理解もできる。

 外交官の言葉は、自国の利益を普遍的正当性のオブラートに包んで表現するものである。中国側にすれば遠路アラスカまで出向いたのに、ホスト国側が、冒頭で歓迎どころか、率直というにはいかにも外交儀礼的雰囲気を欠いたのだから、会談冒頭の波乱を云々するならば米国側に責があると思うだろう。

 カメラ放列の前で、相手国に対する非難合戦が繰り広げられた。外交官諸氏の表情の硬さが感じられた。いずれにせよ、双方の本音、持ち駒をあらかた陳列してみせたのは、世界の人々にとっては考える材料が提供されて有益だった。

強大国なる存在

 米中会談に関心をもつのは他でもない。経験的に国際関係では、いかなる重大な論争も強大国の合意なしには解決しないからである。聴衆としては、しかし、米中外交の、スーパーヘビー級同士対決をボクシング並みに、KO期待して楽しむわけにはいかない。二大強国が相互に相手国を虎視眈々攻めることに集中する事態が続くかぎり、世界秩序は不安定さを増すからだ。

 たとえば、内戦寸前のミャンマーに対して、米中両国が応分の役割を果たすことができない。国連活動の成果を上げるには、国連の方針を強国が実際に支えるかどうかに懸かっている。内政だから干渉せずと割り切るのは簡単だが、隣家で大げんかしているときに、我関せず、を決め込むものではない。主権を侵害・束縛せずに問題解決を手伝う努力をするべきだ。EU・米国などが国軍高官・組織に対する一部制裁をおこなったが、国軍側にすれば制裁は想定内だから効果が薄い。制裁を強化すれば、すでに相当疲弊しているミャンマー国内の経済はさらに劣化し、人々の生活が困窮し、混乱が深刻度を増すだろう。とくに国軍は、意図的に混乱を高めようという意図をもつ。その手に乗ってはお終いだ。

 外から内政に干渉せず、事態の理性的解決策を探るのは極めて困難ではあるが、手段がないわけではない。国連が前面に出て、国軍とNLD政権との討議の場を設ける。これならば、内政不干渉を唱える中国・ロシアも無下にできないはずである。国連における大国の拒否権を行使できないように工夫する余地はまだ残っている。

 中長期的に考えれば、国際秩序にかんして道義的役割をもつ強大国が、お互いに相手を揺さぶり続けている事態は、米中両国間の問題に止まらない。あちらこちらの国々が自由に不見識に行動するのを後押しするばかりである。そのような米中両国の在り方は、世界秩序の混乱・混沌の原因を生み出す懸念が大きい。大国には、大国らしい見識が求められる。大国には品位というものがほしい。

米国内事情

 米国の対中国姿勢は、トランプからバイデン政権に代わったが、バイデン政権は、中国に対して軟弱だと言われることを警戒せざるを得ない。世界強国NO.1は米国だという、お山の大将意識、エリート意識は、100年前から一貫しているし、それをトランプ氏が煽りまくった後で、トランプ流が消滅していない。

 米国が世界のNO.1でありたいと願うのは米国の勝手である。ただし、NO.1願望と、現実にNO.1であることとは別だ。政治にはリアリズムが必要である。大向こうの喝采ばかり気にしていると(これが悪しきポピュリズムである)、願望が現実を無視して独り歩きする。第一次世界大戦以後、米国はつねにNO.1であった。その雰囲気で生活している人々が、他国の後塵を拝する気になるものではない。

 その文脈で、他国の盛衰を左右するのは米国だと過信する傾向がある。このような気風が主流派になると、それに対する国内の反対意見はタブーになる。トランプ政権を生み出した、1つの重要なカギは中国の台頭である。米国の経済的覇権が脅かされる。居酒屋風談義だと、米国の覇権は誰も左右できない。もし、そのようなことが発生するならば、敵愾心にも通ずる。同国人同士でも角突き合わせる。まして他国となればなおさらである。

 人間には厄介な心理がある。他人の成功を容易に受け入れたくない。他人の成功くらい腹立たしいものはない。古今東西の大きな説、小さな説のいずれにも共通する世界的歴史的心理学である。

中国躍進の力

 他人の話ではない。――わたしは、1990年に初めて訪中した。天安門風波の翌年である。かの北京飯店で日本へ電話するためには、ロビーにある公衆電話まで足を運ばねばならない。上海浦東の巨大都市はまだ膨大な芦原であった。バンドから正面を展望しても何もない。開発計画は壮大(日本的壮大とは桁違い)の一語に尽きて、正直なところ、まるでイメージが湧かなかった。

 わがチームの一部では、それが気に入らないらしく、ひそひそと「ホラだ」というような呟きが漏れる。これから建設しようと張り切っている若者の明るい表情と比較すると、なんとも陰湿であってうんざりした。張り切っている姿を見るだけでも、相手の「幸せ」が気に入らない。

 それから30年が過ぎた。中国の快進撃は、日本の高度経済成長どころではない。いまの日本的嫌中意識には、お隣の発展に対するねたみがあり、わがほうが思うようにならない挫折感・敗北意識がありはしないだろうか。

 勝海舟(1823~1899)が、中国に上陸したとき、大地の大きさと、それに負けない人々の気持ちの大きさを痛感して、思わず涙したという。日清戦争処理で下関条約締結に来日した李鴻章(1823~1901)を、勝は、伊藤博文(1841~1909)など足許にも及ばずと人物評価した。日清戦争の賠償金をそっくり返還せよとまで語った。勝の度量は日本人離れしていたようだ。それができる度量があれば、大東亜戦争への道を歩まなかったかもしれない。

 実際、わたしがたまたま出会った人々は勝の評価を彷彿させた。当時は、まだまだ不遇、不如意である。しかし、みじめったらしいことは少しもない。ねたまず、そねまず、不遇を嘆かずおおらかなことは、わたしごときはとても及ばない。寛大とか、包容力というものは個人にも、国にもあるものだ。

 中国共産党党員、ざっと1億人、家族やなんやかや合わせれば人口の半分程度が党とのつながりをもつだろう。米国や日本の政党とは比較できない。単純に、西欧型デモクラシーの物差しで中国を推し測るのは軽率、有害である。まして好き嫌いの枠組みで他国(中国に限らないが)を推量するのは危ない。

 1989年に、鄧小平氏が日本の財界訪中団に語った言葉がある。いわく、人権に対して、国権がある。中国は、国権=(国としての)独立・主権・尊厳が大事だとした。

 1840年のアヘン戦争に始まり、辛亥革命によって封建・清朝を倒し、1912年に中華民国が誕生したが、順調に育たなかった。日本が大東亜戦争(中国戦争も含む)で1945年に敗戦するまで半植民地状態が続いた。その間、基本的人権はもとより、国権が蹂躙された。大東亜戦争末期から国共両陣営による内戦があり、ようやく1949年に中華人民共和国が成立した。アヘン戦争から建国までの109年は、人権も国権もなかった。

 わたしは民主主義者である。個人的尊厳を第一とする。国というものは1人ひとりの国民が作っている集団だと確信するから、人権を国権に優先する立場であるが、国権なくして人権なしだという鄧小平発言には、歴史の重みと自負があることを認めざるを得ない。――中国をこれからどうするか。それは、中国の人々が考え、研究して選択することである。

 日本の場合は、幸運にも民主主義が降ってきた! 自らの手で人民共和国を打ち立てた国民の国家観を、日本的民主主義の国家観で推し測ってはならない。わが国では、本当に民主主義政党らしからぬことの多い自民党までもが、自由と民主主義の国を標榜する。客観的には民主主義制度に乗っかった権威主義政党である。自民党的思想は独裁政治思想と似ている。多くの自民党議員はリベラルを嫌うが、リベラルでない民主主義はない。看板だけの民主主義に満足する国民が少なくない理由は、自前で民主主義体制にしたのではないからだ。民主主義になったのであって、民主主義にしたのではない。

日本人の、いわゆる嫌中感情

 人間同士の付き合いで格別利害関係がないのに、ウマの合う人とそうでない人がいる。好きでも嫌いでも、原則的に共存しなければならない。日本人は、もともと包容力があった。日本の文化とされるものは古代以前から輸入が多い。弥生時代から一挙鉄器時代に入ったのも、4世紀までに漢字が伝来したのも、6世紀の儒学・仏教伝来にしても明治の文明開化にしても、社会変化の牽引力となったものは外国からの伝来ものである。優れたものは認めて受け入れ、自分のものにするという性質を考えると、日本人は本来排外的ではない。

 明治時代のひたむきさが嵩じて軍国路線を突っ走ったが、敗戦後はゼロからの再出発で、これまたひたむきに学びかつ応用し、生活や経済を進歩させてきた。自分以外のものを学ぶのは謙虚である。先行する人々に追い付きたいと努力するひたむきさは謙虚だから可能だった。

 戦後、日本人が相対的におかしくなったのは1980年代である。成功したと思って謙虚が消えて傲慢になった。最前線に出てみると、そこから先の手本がない。ボクの前に道はない、ボクが歩けば道ができるはずだった。しかし、馴れていない事態だからおおいにもたついた。パイオニア精神があると勘違いしていたことに加え、傲慢が邪魔をして自省・自戒ができない。反省できない人も集団も絶対に進歩できない。

 さらにまずかったのは、前を見ても確たる手がかりがないものだから、後ろを見る。ろくな知恵が出ないとき、顔を出すのが回顧主義であり精神主義である。「昔はよかった」、意識せざる復古調が社会の底辺にしみわたる。典型的右翼政治家の安倍政権が8年も続いたのは、回顧主義・復古調・ナショナリズムを目先だけのキャッチコピーで操ったというべきだ。安定的長期政権で、何か新しい息吹が生まれたであろうか。――ありはしない。

われ太平洋の架け橋たらん

 新渡戸稲造(1862~1933)は一高校長時代、学生に向かって、しばしば鎖国的籠城主義である「島国根性を捨てよ」と説諭した。「事なかれ主義でなく、事あれ主義」で行け、「パーソナリティの育たぬところ、レスポンシビリティも、アカウンタビリティも生ぜず」とも語った。「慢心は亡国の最大原因」であり、「国を愛する人は多いが、憂うる人が甚だ少ない」とも語った。「太平洋の架け橋たらん」と活躍したことは誰でも知っているだろう。理非曲直の基準は一国に止まらず、人類一般に共通する。これらが新渡戸の信念であった。

 1956年12月18日、国際連合総会は全会一致で日本の国連加盟を決定した。日本は、1933年年3月の国際連盟脱退以来23年ぶりに国際社会復帰を果たした。重光葵外相(1887~1957)は、加盟実現の総会において、「日本は国連の義務を忠実に遂行する。世界の緊張に対して、日本は東西の架け橋になって平和の推進に寄与したい」と謝辞演説をおこなった。65年前のすがすがしい心意気を、いまの時代を生きる1人として、改めて認識しなおしたい。

 アジア太平洋・インド洋の平和を掲げて、3月13日、QUAD(4か国安全保障対話 日米豪印)初の首脳会談がおこなわれた。バイデン氏は中国対応に限定しないように慎重だと伝えられた。直後3月16日、日米2+2共同声明で、従来慎重であった日本は中国を名指しで牽制した。14日の読売社説は、対中包囲網歓迎論を展開したが、賛成できない。日本外交の視野の狭さ、確固たる見識があるのか極めて疑問である。冒頭の米中高官協議はその直後であった。

 大きいところでは、最近しばしばいわれる「新冷戦」へ舵を切ったのである。日本は、グローバリズムの支持であったはずだ。世界をブロック化することは正反対である。ブロック化してしまえば、ブロックの利害が前提となって、対決姿勢が押し出され、問題の本質的解決から遠ざかる危惧が強い。

 重光外相の国連演説当時、すでに世界は東西冷戦であった。しかし、少なくとも冷戦を否定し、東西の架け橋たらんと志した。ところが、今回は、日本が積極的に冷戦化(ブロック化)を推進した。しかも、日本はいわば米国のスネにしがみついているようなものであり、日本単独の外交力量がないことからすれば、さらに米国の腰巾着方向に進む。日米同盟がますます両国関係の不均衡化をもたらし、必然的に日本独自の自由柔軟な外交から遠ざかることになる。

 「世界の真ん中で輝く日本」と語ったのは安倍氏である。地球儀を俯瞰するの、価値観外交のと、コピーを並べた結末がこれである。政治家には、国を憂うる人がいないのだろうか?

 日本の独立・自主の立ち位置から未来を考えねばならない。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人