月刊ライフビジョン | メディア批評

対中包囲網に引きずり込まれる日本外交

高井潔司

 バイデン米政権の対アジア外交が動き出した。その基調は、中国経済がアメリカを追い越こそうとする勢いの中で、中国に対抗するための対中包囲外交と言えるだろう。日本の外交はその置かれた国際環境を直視せず、呪文の如く「ゆるぎない日米同盟」、「自由で開かれたアジア太平洋」を唱えるだけのアメリカ追随外交に終始している。日本の報道も表面的な動きを追うだけで、問題を俯瞰的かつ長期的な視点で捉え、批判的に展望する姿勢がほとんど見られない。

 バイデン政権はまず日米豪印のオンライン首脳会談、日本、韓国との間の外交、国防相トップレベルのいわゆる2プラス2会談を開き、その上で3月18日アラスカで中国との間の外交トップ会談を開いた。同盟外交重視し、それによって中国包囲網を構築しようという意図がうかがえる。

 米中会談では冒頭、双方ともテレビカメラを引き留め、異例の非難の応酬を演じて見せた。いずれも国内向けのパーフォーマンスである。バイデン政権としては、トランプ前政権の「バイデンは中国に弱腰」との攻撃を打ち消す必要があった。香港、ウィグルなど現実に分離問題を抱える中国側も絶対、弱腰を見せられない状況にある。

 冒頭のやり取りは、テレビにとって格好の報道シーンだった。19日夜の日本のテレビ各局のニュースもこぞってこの場面を使い、両国の深刻な対立を伝えた。翌日の新聞各紙もテレビ報道に煽られるように双方の非難の応酬を列挙し、表にして掲げ、「米中『公開』舌戦」(読売)、「米中大荒れ」と報じた。こうした報道は確かに事実を客観的に流した報道と言えよう。

 しかし、米中関係は今後の日本の行方を左右する国際的な問題であり、野次馬のように他人事のように両国の喧嘩を楽しんでいる場合ではあるまい。その実対立と言っても、初めての会談で、お互いが基本的な立場、議論のスタート点を示したに過ぎない。したがって、その中での誤解や外交的はったりを批判し、歩み寄りの余地を指摘する評論もあって然るべきだろう。

 例えば新疆ウィグルの問題。アメリカ外交や日本の報道は、在外亡命者たちの「中国はジェノサイド(民族大量虐殺)を行なっている」との指摘を前提に中国を批判するが、真相は必ずしも明らかではない。湾岸戦争やユーゴスラビア紛争でもこの種の‟デマ“が国際世論を誤らせ、戦争や紛争を激化させた。メディアは何度もそうした不幸を目撃してきたはずだ。

 こういうと中国擁護と言われかねないので、きちんと中国批判もしておかねばならない。中国もデマだというなら、事実を明らかにして反論すべきだろう。アメリカの黒人差別を持ち出し、「米国には米国の民主主義があり、中国には中国の民主主義がある」と相対化してみたところで、何の説得力もない。「米国に黒人差別があるように、中国にはジェノサイドがあっても問題ない」と自ら認めているようなものだ。黒人差別の存在は事実だが、その実態は報道などによって明らかにされ、国民的なレベルで議論が行われ、問題是正の動きが広がっている。中国の場合、事実を究明するという姿勢がまず欠落しているのだから、民主主義でも何でもない。アメリカの民主主主義に欠陥があったとしても雲泥の差がある。この姿勢が続くかぎり、いくら大国化しても、中国は世界をリードするにはふさわしくない国と警戒されるのは当然であろう。中国はジェノサイド情報がデマというなら第3者の国際機関を受け入れ真相を明らかにすればいい。それは内政干渉でも何でもない。デマ情報に基づく内政干渉を防ぐためにもそうすべきだ。

 残念ながら、日本の昨今の中国報道は、こうした角度からの中国批判がない。亡命者の証言をうのみにして、中国を非難するだけだから、事実だ、事実でないの水掛け論の論争に終わってしまう。もしジェノサイドが事実としたら、この種の議論は中国のペースにはまり、中国の事実隠しに協力しているとも言える。

 さて、アメリカの対中包囲網外交のスタートの中で、菅首相の訪米が今月予定されている。与党サイドでは、日本が最初の直接対面の首脳会談の相手となったと大はしゃぎである。だが、日本の置かれた立場、立ち位置について、アメリカと同じと言えるのか、しっかり見つめ直す必要がある。中国との経済関係は、切っても切れない相互依存の関係にある。封じ込めで済むことではない。それこそ「自由で開かれたインド、太平洋」というなら、中国や北朝鮮を封じ込めて「開かれた」などと言えるのだろうか。中国や北朝鮮をどう「開かれた国」にするかこそが、日本が考えるべき外交であろう。アメリカに追随することは、「開かれたインド、太平洋」を実現できるどころか、むしろ緊張を拡大するだけだ。もっとも、「自由で開かれたインド、太平洋」などというスローガン自体、裏の意味は中国包囲網であろう。そうだとしたら、中国包囲網の構築は本当に日本の国益に適うのかどうか、しっかり議論した上でそのスローガンを叫んでほしい。

 緊張と言えば、尖閣諸島をめぐって毎日のように中国の艦船の往来が報じられ、さらに中国が海警法を改正し海警局の艦船に武器使用を認めたことを新たな脅威として受け止められている。しかし、海警局の艦船の往来がどれほどの脅威なのだろうか。艦船の往来の目的はどこにあるのかの報道や評論がまるでない。わが国固有の領土である尖閣に侵入する中国艦船は尖閣を奪おうとする動きであり、沖縄さえ危ういと右翼の宣伝からほとんど一歩も出ていないのが現在の日本の報道ではないか。「固有の領土」というが、たかだか20世紀に入って、中国の清王朝が日清戦争で日本に敗れ衰退に向かう中で、無主地であった尖閣に目を付け、どの国からも領土主張がなかったからという理由で領土に編入したに過ぎない。

 国力を回復した中国はその後、自国の領土だと主張し、日本との領土交渉を要求している。中立的な立場から見れば、中国はその主張を維持するために、その証として艦船の派遣を繰り返えしているのだ。日本が何ら交渉を受け入れないから、中国としては何も行動しなければ、日本の領土であることを認めてしまうことになるから、執拗に入ってくるのだ。尖閣に上陸しないのは、むしろ武力衝突を避けるための中国の自制した行為とさえ言える。最近では日本の右翼の手配した漁船が尖閣周辺で挑発するように行動し、海警局の艦船がそれを追い掛け回すという危なっかしいゲームを繰り広げられている。こうした不毛なゲームを、日中の外交当局やメディアはいつまで放置しておくのか。

 3月26日付の読売は「特ダネ」として、「日米両政府は4月上旬の菅首相とバイデン大統領との初の対面会談の成果として、共同文書を発表する方針を固めた。中国を念頭に、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約5条の沖縄県・尖閣諸島への適用を明記する」と報じた。この安保適用の報道は安倍政権時代にも何度も両国の首脳会談で表明されていることで、何のニュースでもない。尖閣を巡る中国の脅威を煽り、中国包囲網に参加するための口実に使うだけの意味でしかない。

 アメリカは中国の力による現状変更に反対し、尖閣有事の場合、安保の適用に同意しているが、尖閣に対する日本の領有権を認めているわけではない。むしろ、台湾を含む当事者の領土交渉を求めてきたのだ。アメリカが日本の領有権を認めるというならニュースであろう。日本のメディアには、ぜひ4月上旬の首脳会談後の記者会見でこの点を質問してもらいたいものだ。そうした質問もできないで、中国脅威論ばかりを報じていては、現状を追認するだけの役割を演じることになる。

 一方、国内問題では毎週のように「文春砲」がさく裂し、国会が空転した。大手新聞は文春砲を後追いするばかりのように見えるが、そうでもないように私には思える。例えば3月1日付の読売は一面トップで大手ゼネコンの「鹿島」の元幹部が福島復興で、下請け業者から2億円もの金銭を見返りに受け取っていたとの問題を報じている。総務省の接待問題以上のスキャンダルと思うが、他社が追いかけるわけでもなく、読売にも続報がない。文春報道の後追いは、新聞各社の横並びなので平気で後追いする。だが、他社の中程度の特ダネは後追いすると、他社の功績を高めることになるので無視するという慣行がここでも生きている。

 下請け発注に伴う不正な金の流れは、福島復興だけのことでなく、この国の構造的な問題だろう。原発でも、昨今のコロナ禍でも見られる。このような金は不当、不正な見積もり、契約、発注に伴って生じているのだ。関係者の不正な利得だけでなく、手抜き工事にもつながる問題だ。

 読売報道では、鹿島の元幹部が個人的に遊興費などに流用してしているとなっているが、2億円もの金が個人のポケットマネーとして使われるなどというのは常識では考えられない。政界や役人、本社に還流していなかったのか、追及してみる必要があろう。野党も文春砲ばかりあてにせず、こうした問題を、もっと国会の調査権を活用し、追及してもらいたいものだ。


高井潔司 メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。