論 考

時限爆弾?

 2004年の年金制度改革の際、当時自民党の社会保険部会を仕切っていたN議員を招いてシンポジウムを開催した。

 N議員は、いわく「100年安心」をことさら強調していた。もちろん、制度が大丈夫だというのであって、年金制度で国民の生存権保障が大丈夫だというのではないのだが、一種の錯覚で聴衆は万事OKであると聞いただろう。

 わたしもスピーチした。日本の年金制度はもともと官のためのものである。年金制度が前面に出てきたのは、戦時財政が枯渇してきて、戦時国債もすでに手いっぱい、税金もとりにくいという事情において、国民皆年金を押し出して保険料を徴収し、当面戦時財政に充当するという高等戦術であった。

 だから基本的人権の核心である生存権を確立していくためには、制度だけではだめである。戦後、年金制度が成長したのは、国民各層の声が押したのだという話をした。たとえば労働者は年金ストもやった。

 皆さまの反応を少し聞いたが、初めて聞いたという調子であった。

 政府は、年金財政検証結果の公表を8月ごろにするという。6月初めには公表できるように進捗していたのである。年金問題を参議院議員選挙の論点にしたくないというまことに露骨かつ不誠実な態度である。