月刊ライフビジョン | 家元登場

宰相の犯罪

奥井禮喜
議会機能停止

 「日本と日本人」について少し考えてみたい。ここで日本というのは、わたしが受け止めている日本の姿であり、日本人というのは、わたしという1人の日本人が考える日本人像である。さて、森友学園が国から法外な安値で敷地を購入したのは2016年6月であった。豊中市議会議員が気づいて事実関係調査を始め、17年2月17日の衆議院予算委員会の質問で問題が全国民の関心を呼ぶようになった。同委員会で安部氏は「私は全然関係がない。もし、関係があれば辞任する」と答弁した。続いて加計学園問題が発覚する。モリカケ問題はいずれも状況証拠は「黒」であるが、安倍氏はまともに答弁しないことによって時間稼ぎでしのいだ。もちろん、これらはいまも未解決事件である。さらに解散総選挙で争点隠しを図って延命し続けた。強行採決は与党の常套手段化した。この3年間、過激な表現をするならば、議会政治はほとんど機能していないという事態を招いている。

内閣支持率50%!?

 奇妙なのは、森友事件で一時期、内閣支持率が下がったものの、その後は50%前後を維持し続けている。議会で与党が圧倒的多数をもつから、与党を掣肘する最大の武器は内閣支持率である。問題が発生して内閣支持率が下がれば、多少は慎重な政権運営になるだろうが、支持率の変動が少ないから、一時的な注射効果もない。報道は、政府与党の動向が中心にならざるを得ない。野党の動向が人々に注目されることは決定的に少ない。何をしてくれてもお任せという熱烈与党支持者は少ないだろう。この事態は、まさにずるずると政治レベルを落としているのであって、いずれにせよ、そのツケが回るのは国民各位に対してである。政治権力者といえども、面倒臭くなれば辞任すればよろしい、辞任は責任をとるのではなく、責任から遁走する手段でもある。おそらく、自民党の心ある議員(がいるとして)は、次の政権を担うことの大変さに肌寒い思いをしているに違いない。

働く側は理論武装を

 17年に「働き方改革」法案が本格化した際の人々の反応は極めて鈍かった。「あんなもの無関係だ」と語る人は少なくなかった。なるほど最長残業時間を720時間にするのは働く人全体からすれば関係者は相対的に少ない。同一労働同一賃金問題も、いわゆる正規社員からすれば喫緊切実なテーマではないだろう。1950年代後半から70年代まで組合は、昨今いうところの非正規(臨時雇用者・途中入社者)と正規入社者との格差是正に尽力した。それは一応成功した。しかし90年代の大失業時代から、経営側が非正規雇用を増大させたから、非正規社員が40%にもなった。この間、組合員段階の賃金論や労働法の学習はほとんどなされていない。基本的な理論学習をやらなければ、「働き方」問題を組合活動として展開できるわけがない。かつて活発だった組合活動を支えた力は、「働く」ことに関しての学習活動であった。いま、学習活動の再生が絶対必要なのである。

各人は誇りを取り戻そう

 政治を一見すれば、日本が奇形的政治にはまっている。大きな危惧である。もともと日本人は、自分から集団や社会に対して積極的に発言したり働きかけたりしない傾向にある。頼まれないのだから厚かましく出しゃばらない、これは謙虚であり美風である。また、人々の政治に対する抑制的見識・態度が、政治問題を「最善の人々」に委ねているとも考えられるが、昨今の政治は、その最善の人々がきちんとした仕事ができない。政治家は選挙に右往左往しなければならないが、官僚は(公僕意識があろうがなかろうが)司、司で、堅実に職責を果たすはずであった。極論すれば政治=行政の核心は官僚とその体制にこそありというのが、かつては官僚の誇りだとされていた。しかし、いまや右往左往政治家におもねて右往左往する官僚になったみたいである。1人ひとりのわたしが考えて意思表示せねばならない。わたしが日本である。わたしがデモクラシーである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人