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シンポジウム報告「人生と働き方の関係を再考する」

ライフビジョン学会

 ライフビジョン学会は2018年9月8日、設立25周年記念公開シンポジウム「人生と働き方の関係を再考する」を開催しました。法政大学水野和夫教授、連合総研古賀伸明理事長をお迎えしての学習の様子を10月、11月、12月に分けて、本巻頭記事で報告いたします。(編集部)

石山浩一・ライフビジョン学会代表挨拶

 本日の講師の皆様、ご参加いただいた皆様に、心からのお礼を申し上げます。

 ライフビジョン学会は1993年に設立しました。バブルの崩壊、残滓、後遺症に苦しんで、リーマンショック、会社のリストラ、人員削減など厳しかった時代を幸い、活動を継続することができたのも、ご支援いただいた皆様の賜物と思います。参加をお誘いした人からも、25年も続くのは凄いと言われ、継続は力なりと実感したものでした。

 「設立の志」には、人生設計の重要性を説き、個人が人生にビジョンを確立して生きることを奨励するとあります。最近の政府は個人の働き方改革を説くが、大事なことは私たち働く人が1人ひとり、ビジョンをもって働くことだと思います。

 本日の企画が改めて、われわれの生き方、働き方を考える機会にしていただけたらとの願いを込めて、挨拶とさせていただきます。


基調報告 人生と働き方の関係を再考する

有限会社ライフビジョン代表 奥井 禮喜

 人生と仕事の関係について何が大事かと考えると、勤め人の関心は、人生の一部に過ぎない「仕事」に大きく占められている。

 一方、会社を含む「組織」は、いったんできてしまうと独り歩きを始め、勤め人は個人と組織のギャップに悩まされることになる。そこでわれわれライフビジョン学会25周年記念事業の基調を、個人に立脚した「人生と仕事」と設定した。

 ところでここしばらくの研究活動の中で、たまたま、「帝国ホテル労働組合100人インタビュー」「UAゼンセン中小労組組合役員100人インタビュー」の知見にあずかる機会を得た。本報告の背景の一部を構成していることを紹介し、お礼を申し上げたい。

1) 人生と仕事の関係――前提

 まず人生と仕事の関係を整理してみよう。「わたし」を軸として〇は好い関係、×は不都合な関係とすると、以下の組み合わせが考えられる。

                 ①  ②  ③  ④     

   わたしの人生  〇  〇  ×  ×

   わたしの仕事  〇  ×  〇  ×

 ①は、私の人生も私の仕事も○、うまくいっている。

 ②は、人生はうまく行っているが仕事はバツ…、この場合、②と③は問題意識を持っているのだから、解決は努力次第である。④は全面的に困る。

 ①が皆の求める、望ましい関係であろう。

 次に、わたしと仲間の人生と仕事についての関係を整理する。

              人生           仕事     

          a  b  c  d    e  f  g  h        

   わたし    〇  〇  ×  ×   〇  〇  ×  ×

   仲間     〇  ×  〇  ×   〇  ×  〇  ×

 この場合はaとeが、望ましい関係であろう。しかし社会生活では私だけ、仲間だけが良いというのは×なので、本当の解決にはならない。

 一般に言うアパシーで、組合と個人の関係がうまく行っていないという場合は、私と仲間の問題解決の方向に入っていない、あるいは、1人ひとりが孤立していて仲間が形成されていないなど、いろいろあるだろう。b、C、d、f、g、hはいずれも問題解決を要す。

 わたしのためだけ、あるいは仲間のためだけの問題解決は、本当の解決にならない。私と仲間のaとeを求めるのが組合の仕事になろう。

 個人とすれば、私の人生も私の仕事も、両方が良くなるように、仲間についても同様に、求めることをまず考えよう。

 これが今日のポイントになるが、インタビューでは、仲間たちの仕事に対する構え方が面白かった。

2) 仕事に対する労働者の構え方

 1、インタビューの応答に共通するのは、「一人ひとりの日々の関心は仕事にある」ことであった。

 2、「長時間労働・休めない・賃金がやすい」という労働条件の不満は、100人ほぼ同じであった。

 3、にもかかわらず! 1人ひとりが、不満はありながら仕事が好きで、仕事に対して誇りと自負をもっている。ここをどう見るか。聖職者のような啓蒙上手が登場して、働く人たちを洗脳させたと考えることもできるが、皆が自分の状況を通じて、内発的に回答してくれたという見方もできる。本当にどちらであるかの答えはまだないが、私が聞いた限りにおいては、事実を語る表現だった。

 つまり私なりの表現でまとめれば、労働条件などの不満は隠しようもないが、自分の人生を作っていく仕事に関する愛着が極めて強い。これが、私が把握した皆さんの態度であった。

 私は1人ひとりが自分の仕事に対する態度として、labor、work、actionの三段階があると考えている。

 laborとは生活の糧を稼ぐ。仕事は我慢料、金さえもらえばよしとする。

 workとは個性の発揮、自分が働きたいように、面白く働きたいというもの。

 actionはそれをさらに乗り越えて、自分の仕事は社会の連帯の一部を担っているとの自覚がある。仕事はいわゆる「銭儲け」でも、自分が自分の人生を通して社会とかかわっていく、というレベルの考え方を指す。今回の100人のうち、願望めいた人も含めてほぼ100%近くが、action段階にあった。驚いた。中小の、経営者に相当文句のあるような人たちが、自分の仕事に関しては社会的連帯のレベルに行こうとする、これは凄いことである。

 ところで、経営側はどうなのか。

3) 仕事に関する経営と労働の非対称

 労働側のlaborに対する経営側の態度は、profit、金儲け、利潤第一。

 労働のworkに対して経営はmanagement、皆に楽しく働いてもらうことを最大の喜びとする。あるいは自分の能力はないのだから、能力のある人を連れてくる。経営者冥利を考えるのがマネジメント。

 さらに、それ自体が社会のためになる、(CSRの言うような「余裕があれば社会に貢献」するのではなく)金があろうとなかろうと、社会の一員として尽くすのをactionと考える。

 ここで、労働と経営の「action」が一致することになる。

 しかし今回、労働者側のactionははっきりしているが、経営側はprofit一本やりである。自分の会社の鉛筆一本、自分のものだとの発想で、ひどい話では、部下の家族の葬儀に来た社長が、お前の営業成績が悪いと、家族の前で罵倒したという。100人の労働者のうち、「うちの経営者はがんばっている」と言うのは0人だった。

 経営側の話を聞いてはいないのではあるが、働きにくさを皆が指摘するし、経営者は利潤第一。労働者の「生活の糧」レベルで止まっている。

 「労使対等」とは言うが、力関係の対等だけではなくその構え方からして、action労働者に対してprofit経営者になっている。これはやはり、経営者教育をしなければならない。これが今回の調査で、労使を比較したときの一番の発見であった。

 仕事に臨む「経営」と「労働」の立場を比較すると、以下のような違いを認めることができる。

仕事に臨む態度の非対称
労働の姿勢 経営側の姿勢
labor (生活の糧) profit (利潤第一)
work

(個性の発揮)

management (経営能力の発揮)
action (社会連帯) action (社会連帯)

ゆえに「労使対等」は労使の力関係以前に、考え方が非対等なのである。

 「働きにくさ」は経営側のprofit=利潤第一主義と、労働側のaction=社会連帯の、両者の構え方の違いにある。労働のactionに対して経営はprofitだから、両者をつなぐ労使対等関係が成り立たない。労使の仕事に臨む態度が非対称なのである。

 安倍内閣の「働き方改革」は始めから47の付帯決議が付くなど、法律の体を成していない。法律論から始めてもらいたい。

4) 仲間が仕事に求めているものは何か

 もっと愉快に働きたい、愉快に働ける職場を作りたい。これは様々な人がいろんなところで、何度も言っていた。

 一方、actionに対する阻害要因は何か。これは皆さんの声と、これまでのマネジメント理論を組み合わせてある。

 ① 阻害要因(actionを妨害する)

 a) 仕事が局部的であると、モノを作る実感がなくなる。

 b) 仕事が機械的であって、機械に使われているような気分になる。

 c) 創意・工夫の余地がない。

 d) 儲かるかどうかだけの気風が蔓延すると、仕事の楽しさが奪われる。

 e) 人間関係がよくない。

 f) 職場の雰囲気が、暗い・固い・ぎこちない。

 g) 自分の居場所がないみたいである。

 皆が自分の仕事に愛着をもってactionで行こうとしているのに、皆さんの意見集約からは、ワークライフバランスでなく仕事中心主義、利益至上主義が目立ち、コミュニケーションについては、コミュニケーションと人間関係の概念が適切でない面がみられる。

 ② 「action」を展開推進する前提としては、以下の3つが大事である。実は、欧米においては戦前から、経営者側がこういう考え方を立てている。日本にも、戦後入ってきたマネジメント理論にすでに入っている。

 a) 人が働く動機は、単に経済的利益の追求だけではない。

 b) 人は各自が価値観をもち、目標的に生きようとしている。

 c) ゆえに、企業経営は誰もが気分よく働けるようにしよう。

        ↓

    組織力=Σ個人力

 組織力とは個人力のシグマである。個人力の総和が組織力だとの発想を持たないと、民主主義は育たない。きびしくいえば、経営側、労働側の双方に、この認識が十分ではない。

5) CSRとUSR

 ① 企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)

 ② 組合の社会的責任(Union Social Responsibility)

 金が余ったから金を出すのではなく、企業経営をactionにもっていこうとしているかどうかを考えると、労働基準法の改正、戦後まれにみる大改革、などと言っているが、あの程度で大改革という。総理大臣が「人づくり革命」などととんでもないことを言うくらいだから。言葉が全く分かっていない。

 企業の社会的責任を考えると、日本社会の格差拡大、非正規社員増加、長時間労働放置、これらは「反社会的」というべきレベルである。これを本気で考えることもなく、Corporate Social Responsibility を語るなど、真面目さが足りない。一方で、それを許している労働組合にも、Union Social Responsibility を実践してもらわなければならない。

 ワークライフバランスの欺瞞性に対する批判は強く、先の国会における働き方改革法を評価する声は皆無である。

6) 人生についての基本的構え方(ライフビジョン)

 われわれライフビジョンにおける人生設計の考え方をもう少し、展開したい。

  第一 人は自分らしく生きたい(個性の発揮→社会的自我)

  第二 人生は元気=耐力が必要である(絶対元気)

  第三 人生は自分を磨き続けることである(自己組織性)

 以上は1976-77年ごろ、三菱電機労組の人生設計(シルバープラン)を考案した私の専売特許だと思っていたのだが、実は、例えば「自由民権のトップランナー」の植木枝盛も、中国の魯迅も主張していた。

 第一の「自分らしく生きたい」というのは、個性を発揮し、社会的自我を発揮する、これは私の造語である。自我を発揮するとは「我執」によって、自分の思いを発揮するのでなく、社会の中で自分が個性を発揮できる。お山の大将の安倍氏のは自我の発揮でなく、我執である。自我の発揮とは個性を社会の中で発揮し、貢献していく。南海の孤島のロビンソン・クルーソーではしようがない。社会があって、社会の中で認められ歓迎される努力をすることが社会的自我である。

 第二の元気=耐力というのは何か。

 高齢社会への関心が高いが何も考えていない。考えないのがラクなのであるが、それは取り組むべき組合の課題である。そこに保険会社が健康問題、遺言ビジネス、葬儀ビジネスなどで食い込む。人生設計とはそんなことではなく、生き方の構え方なのである。

 ひところ、高齢者の集会に行くと必ず出るのが、PPK―ぴんびんころり。現役時代、上司に逆らうこともできずふにゃふにゃしていたサラリーマンにはできないことだ。

 「耐力」というのは機械設計でよく使われる用語である。 σ=W/A、σはストレスに耐える応力、Aは面積、Wは加重。人生も嫌なこと(の加重)にどれだけ耐えるか。そういうのが人生ではないかと思う。

 世間には「相対元気」が蔓延している。週刊誌が売れるのは不幸になった人の話がたくさん載っていて、それを見て留飲を下げる。最近ではネットで他人の攻撃、中傷が花盛りだが、まともな元気ではない。一方「絶対元気」とは、友の喜びに我は舞い、友の悲しみに共感する。大正時代、北国の冬に貧しい車引きの娘が足袋をはかずに毅然として通学する。彼女に同情・共感した年下の男子が自分も足袋を止めて通学した。足袋をプレゼントするのは彼女のプライドを傷つける。この男子は本当の忖度をしたのであり、これが惻隠の情である。

 ぴんぴんコロリする人生のためには、自分を磨き続けなければならない。植木枝盛は英語ができなかったが、当時の稚拙なデモクラシーの翻訳本から自分の思想を磨いた。39歳で死ぬが、毎日、本を離したことがなかったという。

 (私は)1979年に労使で中高年問題研究委員会(三菱電機)を作り、半日のブレーンストーミングを経て「自立人間」を定義した。

 自立人間(1979 三菱電機労使中高年問題研究委員会)

  a) 自己主張できる

  b) 自分に責任をもつ

  c) 先見性・計画性・自発性を発揮する

  d) 周囲との調和ができる

 いま思えばこれが、「社会的自我」である。

 個性を発揮するのは、社会においてである。自立人間とは社会的自我の立場であり、はじめに人間ありきだから、仕事は個性発揮の1側面と考える。これが私の立場である。

 「自分を磨き続ける」とは、自己組織性のことである。蛋が蝶々に変わるように、自分が主体的に変化するのである。

 * 自己組織性 主体が環境変化に関わらず、自力で自らの構造を変える。

 一人ひとりが願っているのは煎じ詰めれば、「平凡な人が人生を立派にやっていける」ことである。皆が求める「action」は、「はじめに人生ありき」を置くことによって理屈がすっきりする。

 人の「初めに人生ありき」と仕事の「action」をつなぐのが、USR(組合の社会的責任)である。働く人が日々リボーン(reborn)、再生を続けていく生き方こそが、価値ある人生である。ここに軸足を置いて、様々な活動を見直して行こう。


 奥井禮喜 プロフィール 

 1944年生まれ、島根県出身。江津工業高校卒業後、三菱電機に入社。1976年、三菱電機労組中執時代に日本初の人生設計セミナー「シルバープラン」開発実践、著作「老後悠々」「労働組合が倒産する」を発表し1984年独立、有限会社ライフビジョン創業。人事・労働問題の執筆講演活動を展開。個人の学習活動を支援するライフビジョン学会、労組リーダー向け21組合研究会を主催。週刊RO通信とOn Line Journalライフビジョン発行人。