月刊ライフビジョン | 家元登場

腐臭ふんぷん

奥井禮喜

幻覚

 どう考えてみても、真面目さが足りないみたいである。他でもない、国会における政府答弁である。たとえば安倍氏は「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減に全力を尽くす」と何度でも繰り返す。この言葉は額面通りに受け止められるであろうか。まあ、ご本人がそのように考えていてそれ以外ではないと開き直られるなら、他人のわたしが安倍氏を忖度しても詮無いことではあるが、客観的には、この言葉は極めて不誠実だと思う。米軍基地反対行動に参加してない沖縄の人であっても、(安倍氏に)寄り添ってもらっているとは考えにくいであろう。普通、寄り添うというのは、その人々と気持ちに共感・同情して苦楽を共にしようとする意義である。しかし、現実には「お国のいうことを聞け」として、権力支配を押し出している。米軍ヘリ事故問題1つとっても及び腰だ。負担軽減に全力を尽くしているという言葉に真実味が感じられない。

妄言

 はたまた安倍氏は「政治家は、その発言に責任を持ち、信頼を得られるように自ら襟を正すべきだ」とも語った。社会においてお互いに心地よく暮らしていくために、誰もが発言に責任を持つのは当然である。「まして政治家は」というべきである。まあ、この言葉自体、なんら批判すべき理屈はない。しかし、安倍氏の口から他者に対する説諭めいた言葉を聞くとなれば、わたしは違和感を禁じ得ない。もともと日本語は主語がはっきりしていない場合が多い。主語がはっきりしていなくても、誰もが「常識的に」きちんと主語を思い描いて理解するのである。上記の場合、安倍氏は「《政治家は、その発言に(以下略)》といわれております」というべきであって、自分がこのような説諭をしてはならない。なにしろ、安倍氏は言葉に責任を持たず、以て信頼が得られず、自らが襟を正していないからである。ために、李や瓜を奪ったのではないかと不審の視線を浴びているわけだ。

腐臭ふんぷん

 まことに遺憾である。国会の質疑答弁というものは、質問に応じていない答弁をしていても、答弁し続けている限り答弁しているという体裁が成立してしまう。時間無制限デスマッチであれば、やがてインチキ答弁は化けの皮がはがれるのであるが、いかんせん、議会の審議には時間制限がある。陳腐なインチキ答弁であっても時間切れまで粘ることは可能であるから、厚かましさにかけて百戦錬磨である政治家がそれを繰り返すことによって逃げおおせる次第だ。客観的には弁論将棋において詰まっていても、潔く投了しない限りは詰まらない。そこで、権力支配層の提灯持ちするメディアが「いつまでもスキャンダルばかり追いかけるな」という主張をする。なるほどスキャンダルと置けば、本来の政治と異なるかのような印象になる。しかし、モリ・カケ事件は汚職臭紛々である。汚職政治が問題なのであるから、単なる臭いなのか政治が腐っているのか明快にしなければならない。

覚醒

 モリ・カケ事件などは、たとえ安倍氏の支持者であっても、安倍氏の答弁が疑惑を払拭するに十分な内容だとは考えないであろう。支持者たる応援団としては、なんとか苦境を切り抜けてほしいであろうが、無理が通れば道理が引っ込む。権力者だから、仮に悪事を働いても大目に見てもらえるというような次第になれば、政治は根本から腐ってしまう。この1年間の国会論議があぶり出したのは、たまたま安倍氏の限りなく黒が見えるスキャンダル(=汚職)であるが、もし、これを見過ごすことに痛痒を感じない国民的資質であるとすれば、わが国はデモクラシー国家ではないというだけに止まらず、日ごろ人々が遅れているとイメージしているどこかの国と同じで、さらには明治時代へ時間軸を逆流するのと等しい。安倍氏はこの5年間、言葉の真実味、すなわち価値をどんどん貶めた。言葉を大切にしない政治家は政治家ではない。人々の社会的紐帯を壊すからである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人