月刊ライフビジョン | 読書への誘い

「バー・雄鶏」 ジョン・グリシャム(2017年10月)

木下親郎

 米国ではスマートフォン(スマホ)を持っている人の多くがスマホでニュースを知るそうだ。それもお気に入りのメディアのホームページにあるニュース一覧を検索し,気にいりそうな記事をひらくという,つまり,いつも同じ論調のニュースを見ていることになる。トランプ大統領の支持率が低下しても,40%を大きく割り込まないのは,スマホでトランプ大統領礼賛の記事を選んで読んでいるゆるぎない支持者のおかげである。一方で,知らないことを知ろうとする人たちは,あいかわらずニューヨークタイムズやワシントン・ポストを精読しているようだ。今回紹介する昨年末に発売されたグリシャムの新作は,いつもと変わらずニューヨークタイムズベストセラーの上位にいる。

 前作の「Camino Island」では大学を卒業したが6万ドルの奨学ローンを借金として抱える作家志望の女性を描いたが,今回は弁護士になって富裕層の仲間入りをしたいとの願望を持った若者たちである。米国で弁護士になるには,大学を卒業してから,さらにロースクールを卒業し,司法試験に合格せねばならない。ロースクールの学費は高額なので,全てを奨学ローンで賄えば,卒業時に20万ドルから30万ドルもの借金を抱えてしまうことになる。ところで,米国は格付けの好きな社会で,ロースクールの格付けも厳しい。「ヒルビリー・エレジー」の著者が卒業したエール・ロースクールを筆頭に10数校が一流ロースクールとして君臨している。これらを優秀な成績で卒業した学生には年収16万ドルの初任給で一流の法律事務所が待っている。二流のロースクールの卒業生には年収14万ドルていどの二流の法律事務所がある。ロースクールの底辺には1,000人もの学生を収容する学校がある。

 最近の米国は,向学心を持つ若者には政府が奨学ローンを気前よく出してくれる。その結果としてローンを得て大学を卒業しても,ローン返済ができるような就職先を見つけられない学生が多く,ローン返済という重荷を抱えてしまう。本書はそのような学生に甘い言葉をかけるロースクールを描いている。ロースクールに入るには,LSAT(ロースクール入学検定)で好成績を取る必要があり,成績が悪いと受験をあきらめざるを得ない。大学卒業時に多額のローンを抱え,しかもLSATの成績の悪い学生を目標とするロースクールがある。政府ローンで保障された高額の授業料を払ってくれる学生を大勢集めると高い利益での学校経営ができる。大学の卒業生に,低いLSATの成績でも弁護士になれる教育を保証すると言い,将来はローンに縛られない人生が待っていると薦める。授業料で儲けることのみを目的としたロースクールは多くの学生を抱え,しかもオーナーは,別の名称でのロースクールを米国全土にわたって所有している。その利益で,別名義の多くの小さな法律事務所を運営している。そこに,彼らのロースクールの卒業生を年収12万ドルの初任給で雇っている。ロースクールを卒業すれば,初任給12万ドルで就職でき,ローン地獄から逃げられると説得すためである。この新人弁護士には,近い将来,難癖を付けられて,年俸が8万ドルにまで下げられ,退職を選ばなければならない路が待っている。オーナーはロースクールの授業料で得た収益で,別名義の銀行チェーンを持って巨万の富を蓄えている。ここまでが,導入部で語られる。

 本書の主人公は,このようなロースクールで最後の学期を迎える3人の学生である。彼らは,大学卒業時の6万ドル程度のローン返済の目途が無く,甘言につられてロースクールに入った。しかし,ローンスクールの高額の授業料で,卒業時にはローンの返済額推定が,ローンの6倍にも膨れ上がった。1人は小さな法律事務所への就職が内定したが,約束された年収はローン返済に十分なものではない。この3人が,同級の友人の不可解な自殺事件に遭遇し,ロースクールのオーナーが彼らの授業料を資金として不正に富を蓄えている仕組みがありそうだと思う。原題の「バー・雄鶏(The Rooster Bar)」は3人のうちの1人がパートタイムのバーテンダーをしているバーの名称である。このバーを拠点として,社会に認知されるものを何も持たない無力な3人が,友人を自殺に追い込み,自分たちを犠牲にして蓄財をするロースクール・オーナーへの復讐を描くのが本書である。

 1人は,アフリカのガーナからの不法移民夫婦が米国で生んだ美人女性で米国国籍を持っている。彼女を描くことで米国の人権問題,移民対策や,強制送還される本国で待っている不法出国者への問題も取り上げている。パスポート・自動車免許証・IDカードの偽造,偽造された書類での弁護士活動,国内・海外の銀行口座の開設,集団訴訟,FBIの緻密で執拗な捜査などグリシャムの得意な目まぐるしい話題の展開が続く。3人の命運がどうなるかは最後まで分からない。

 グリシャム特有の法廷場面や,こみいった殺人などはなく,前作の “Camino Island”に近い作品である。作者が「これはフィクションである」と強調しているのが気になる。翻訳版の出版が待ち遠しい。


木下親郎  電機会社で先端技術製品のもの造りを担当した技術者。現在はその体験を人造りに生かすべく奮闘中