週刊RO通信

経済が示す社会の二面性

NO.1231

 IMF報告(10月)によれば、世界経済成長率は2016年が3.2%であったが、17年は3.6%(予測)、18年3.7%(予測)という見通しを発表している。18年について各種予測は3.5~4%の範囲だ。

 17年を回顧すると、経済成長は予想以上であり、企業利益は潤沢であり、金融市場の価格変動は安定し、債券利回りが緩やかに上昇し、株価は世界で2割上昇した。期待以上に結構な金融経済であったというわけである。

 IMF報告でも金融環境は依然軽快だとする。ただし、軽快の理由は世界の中央銀行が景気刺激策をとってきたからだ。世界の量的緩和は17年3月時点で1,820億ドル(20.5兆円)/日であった。

 異次元緩和といわれた金融緩和は、過去10年間に延べ700回の利下げがおこなわれ、量的金融緩和はざっと8兆ドル(900兆円)に及んでいるという。さらにマイナス金利である。金融緩和の手は出尽くした。

 及び腰で見ている間に景気拡大が長くなり、すでにバブルではないか(である)という金融関係者の声も登場した。そこで異次元緩和からの転換、金融政策緊縮へ舵を切る流れになる。

 ある予想では、前述1,820億ドル/日が18年末に530億ドル/日へ1/3程度縮小させられるとみる。さらに、19年半ばには流動性が縮小する。しかし、余りにも長い過保護的「適温」状態にあったので、異次元緩和からの正常化ペースはゆっくりやるべし、とIMFも主張する。

 金融が軽快といっても、日本だけではなく世界的に賃金の伸び率が低い。いわゆる中間層が低いほうへ押し出されている。潤沢な資金を確保としている企業が積極的に投資をしていないのも相変わらずだ。

 さらに、経済成長の数字の具合がよろしくても、わが国の中小企業や生活者の実感はそれとはおよそ異なっている。これこそ最大の問題である。

 経済成長なくして国民生活の安定なしと主張されると、大概はそこで思考停止を起こす。少し目を凝らせば、経済成長があろうがなかろうが、圧倒的多数はほとんど恩恵を享受していない。これ、町の人々の実感だ。

 社会のシステムを1つの円と考えてみる。当然そこには中心部に座を占める人々と周縁の人々との関係が見える。中心部が豊かさを満喫していても、周縁に行くほど厳しい立場に置かれている。

 周縁に行くほど中心部の豊かさと反対の現象が幾何級数的に拡大し、いわば周縁の人々は貧困と密着している。経済成長率論議が大事であるとしても、中心部の都合第一に考えるのだから、周縁には及ばない。

 トリクル・ダウン(trickle-down)という言葉がある。オコボレ式経済政策をいう。政府(日銀も)が投資などで大企業を支援すれば、結果的に中小企業や社会福祉に役立つという考えだが、とても信じられないだろう。

 いま、世界中で批判されている少数の富裕者や大企業ばかりが太り、社会的格差が拡大しているというのは、要するに各国の経済政策が中心部の人々のためにのみ機能しているということを証明している。

 これらを思想的に見ると、第一に功利主義が支配している。本来は快楽の増大と苦痛の減少を道徳の柱として、「最大多数の最大幸福」を主張したのであるが、現実社会は「最小少数(中心部)の最大幸福」をひた走っている。

 その理屈を正当化するのがメリトクラシー(meritocracy)である。すべては能力実力主義なのであって、力と富を自分の手で獲得するスタイルを善とし、かくして貧困とは本人が努力しないからだとして切って捨てる。

 さらにそれら2つを積極果敢に推進するのが官僚主義である。これ、役人世界の専売特許ではない。社会システムは、問題があるのに問題視されない。それを懐疑しない人々によって推進される。「社会システムの先頭に立ち得る者は自己存在を放棄した者である」(カール・ヤスパース)

 ――われわれの福祉国家は、人間平等の原理とヒューマニスティックな価値の普及に身を捧げる社会の建設に意欲的でなければならない。――(『中心と周縁』内藤辰美・佐久間美穂/春風社)

 誰もが、毎日忙しい。暮らしのやりくりに手いっぱいだ。そうではあろうけれども、「中心部と周縁」の問題をわがこととして考え続けたい。