論 考

イスラエルへの弾薬供給停止

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 アメリカ・ニュースサイトのアクシオスが、5月5日、先週バイデン政権がイスラエルへの弾薬供給をはじめて停止したと報じた。

 バイデン政権には、イスラエルがガザ攻撃を止めるように要求する声が高まっている。それに対して、親イスラエルの人々が暴力的に妨害して衝突も発生している。とくに学生たちの行動は重要な鍵だ。

 ユダヤ人の政治的影響力が大きいのは事実としても、ひたすら「ハマス=テロリスト=パレスチナ」という文脈では乗り切られない。しかも、アメリカはパレスチナとイスラエルの二国両立の立場を取っているのだから、その線で可及的速やかに戦闘停止を実現しなければならない。

 ネタニヤフがバイデン政権の要請(?)を受け入れないのは、1つは、イスラエルがアメリカの中東政策の要にあるという自負であり、もう1つはネタニヤフの国内基盤の脆弱さだろう。

 「戦争」を継続している限り、ネタニヤフの地位は維持できる。しかし、人質解放に武力攻撃が有効でないことはすでに事実が証明した。交渉しなければ人質解放はできない。イスラエル国内での人質解放に対するネタニヤフの行動は決定的に不信感をもたれている。ネタニヤフの立場で考えれば、絶体絶命に近い。

 ネタニヤフの支持層は極右民族主義である。それが内外の支持を得るのは、イスラエルが防衛的立場にある場合だが、すでに今回はイスラエルによるジェノサイドだと強い批判が高まっている。イスラエル建国に対する心情的支持はすでに吹き飛んだであろう。

 大統領選挙での劣勢が報道されるバイデン氏もまた、きわめて微妙な神経戦に追い込まれている。

 そんなわけで、弾薬供給を停止したのが事実であれば、イスラエルのガザ攻撃に対する明確なNOへさらに一歩進んだとみられる。ブレず押していけるか。

 問題を破壊と殺戮によっては解決できない。それはまさに、問題解決ではなく、問題自体を破壊するだけだからだ。

 なんとかこの報道が確かな事実であってほしい。それでこそ国際政治というものである。