筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)
ハンナ・アーレント(1906~1975)の言葉をもう一つ紹介する。著作『精神の生活』にある。
彼女が、1961年アイヒマン裁判を傍聴したときの苦い感想である。
オットー・アドルフ・アイヒマン(1906~1962)は、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、親衛隊中佐であった。アウシュヴィッツ強制収容所へ、数百万人のユダヤ人を移送する指揮をとった。
ナチ崩壊後は、巧みに偽装してアルゼンチンで逃亡生活を送っていたが、モサドに発見され、拘束されてイスラエルで裁判を受けた。
ユダヤ人移送局長官として辣腕をふるい、ユダヤ人移送のマイスターと呼ばれた。1941年からのヨーロッパのユダヤ人絶滅計画の中心人物の1人として、人道に対する罪などで絞首刑に処せられた。
アーレントは、アイヒマンがあまりにも浅薄な平凡人にすぎないことを知ってショックを受けた。
巨悪を実行したのだから、ふてぶてしい大悪人かと思いきや、小役人的凡人であって、「命令に従っただけ」だと語った。たくさんの人を殺害するボタンを押せと命令されたら、押すだけで、それがどういう結果を招くのかなど、全然考えない。
アーレントはそのショックを、「なにも考えていない」、「悪の陳腐さ」だと記している。
記述は長くはない。しかし、全体主義がはびこっていく大きな理由が露呈しているように感ずる。
アイヒマンだけではない。わが国の敗戦によって、連合国による東京裁判の被告となった戦争指導部の面々も、全員が命令に従ったという弁解であって、自分が積極的に関与したとは言わなかった。
1946年1月1日の読売報知は「平和日本再建の方途」と題する社説で、「(それについて)実情はどうであるか。人民大衆は久しきにわたる封建的な抑圧によって馴らされた家畜と化せられ、政治を上から与えられたものとして極めて無関心である。」と、手厳しく指摘した。
上とは、権力を行使する連中である。彼らが権力を掌握することに狂奔するのは、結局、権力に隷属する人々が圧倒するからである。しかも、権力の中枢にある連中が、自分以外の誰かに責任を委ね、応分の自己責任をとろうともしないのだから、責任をとる人は誰一人存在しない。
敗戦までのわが国の全体主義とは、なんともはや、こんなわけのわからないものであった。
そのキーワードは、「なにも考えていない」ことに尽きるだろう。