論 考

「させない」だけでなく、「しない」ことが大切だ

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 イスラエル軍の容赦ない激しいガザ攻撃が続いている。今回の残虐な攻撃はイスラエルと対立する過激派組織ハマスの無謀な攻撃が端緒となった。アメリカがイスラエルの行動を自衛権の行使として容認したことから、残念ながらわれわれはイスラエルの残虐行為を傍観するだけの立場に置かれてしまっている。第2次世界大戦中、ナチスのユダヤ人虐殺を受けたこの国民がなぜここまで残虐な行為を平然と許し支持しているのか、理解に苦しむ。

 先日たまたまNHKのニュースウォッチ9で見たイスラエル人男性のインタビューで合点がいった。この男性は確か年齢は60歳台、現在日本人女性と結婚して日本に住む。20歳台までイスラエルに住み、空軍のパイロットでもあったという。

 テレビインタビューなので正確な記録はない。私の記憶によれば、彼の語った主旨はこんな内容だった。

 「私たちは子供の頃から、虐殺は許さない、させないという教育を受けて来た。虐殺させないために、虐殺をすることは許されるという教育だ。だから私のイスラエルに住む友人たちはあの攻撃をみんな支持している。しかし、私は日本に来てから、させないだけでなく、してはいけないことを学んだ。平和を守ることが大切だ。いま私はイスラエルの友人たちに連絡を取り、そう説得しているがなかなか難しい」

 私たち日本人は「ノーモアヒロシマ」というスローガンや「非核三原則」の政策に見られるように、核戦争についてさせないだけでなく、しないことを明言している。また目下、ないがしろにされつつあるが、非武装中立を志向する平和憲法を持つ。政府・与党の一部は別にして、多くの国民は平和日本を享受し、戦争はもうごめんだという感情を今もって共有している。

 イスラエルと日本の違いは、国家なき民だったユダヤ人は一方的にナチスの虐殺を受ける被害者だったが、日本人は原爆投下や無差別都市爆撃を受けたものの、中国をはじめアジア諸国を侵略した加害者でもあった。日本は戦争をさせないだけでなく、戦争はしないという誓い、教育が必要だったし、平和憲法を持つことになった。

 しかし、東西冷戦から今日の中国、北朝鮮の軍事大国化が進み、アメリカとの同盟の下で、国防力の拡充、強化が進み、いまや敵基地先制攻撃まで公然と議論されるようになっている。イスラエルの「させない」教育とその立場に近づきつつあると言える。北朝鮮や中国の動きを見れば、非武装中立の理想を貫くには相当の覚悟が必要だし、国民すべてをそう導くことは困難だろう。

 しかし、今回のイスラエルの残虐行為を見るにつけ、「させない」だけでなく、「しない」という発想と教育の大切さを実感する。国家の戦略として、平和の維持のために防衛力の拡充だけでなく、平和外交の強化を進めていく必要があるだろう。アメリカに追従するだけの外交ではとても「戦争はさせない、しない」という原則を貫くことは難しい。