週刊RO通信

宗教者たるや否や

NO.1536

 旧統一教会会長の記者会見では、宗教家というよりも、こなれた勤め人か官僚という風格を感じた。格別抹香臭い風采を期待しているのではないが、信仰深い人はどこか並みの人とは異なる雰囲気が漂うと思うからだ。会長は教団の人は他者のために生きる価値観を大切にしていると語るが、それにしては、勤め人・官僚的答弁に終始したというしかない。

 わたしは信仰心篤い人には宗派を問わず畏敬の念をもって接してきた。それには自分なりの思い込みがある。思い込みといってもさほど重いものではない。――無神論者にとって最悪のときは、感謝したいときに感謝すべき人もいないことである――(ロセッティ)という言葉を知ったとき、よくわからないが、気持ちが揺さぶられた。

 西洋の古典を読むと、直接宗教について論を展開したものでなくても、宗教との関わりを発見することが多い。それだけ宗教は人々の生活に溶け込んでいるのだろう。聖書も折々に読んでいるが、旧約聖書にはとくに人間臭さを感じる。パレスチナとイスラエルの紛争を解く鍵がないものかと思案するのだが、残念ながら、いい発見があるわけもない。

 イタリヤ中部アッシジに登場した聖フランチェスコ(1182~1226)は、「愛と清貧」の生き方、無所有と平等を説いた。献金やなんやで高くつく教会に困っていた民衆は熱狂的に共鳴し歓迎した。堅い神学の傾向なく、どちらかといえば無学純粋の人であったという。ローマ教会が困惑して、フランチェスコを厚遇するのだが、彼はそれを好まず洞窟へ逃げ込んでしまった。

 この話は、信仰心がない自分でも、素直に理解できる美しさがある。理屈をいえば、ルター(1483~1546)による1517年の宗教改革のハシリであったといえなくもない。それ以上に、清く貧しい人々が共鳴した事実が、抵抗感なく理解できる。しかし、フランチェスコは主流にはならなかった。

 アナトール・フランス(1844~1924)『聖母の軽業師』はお話であるが、なぜか非常に心を打つ。――修道院で生活する人はみな自分の得意技で貢献する。薬草・庭の手入れ、家具・道具作りなどである。ひとり道化師だけはなにも役立つことができなくて煩悶する。ある日、彼は意を決した。

 人々が寝静まった深夜、彼は聖母像の前で軽業を演じる。やがて、様子が変だと気づいた修道院長がこっそり軽業師の後をつける。礼拝堂の聖母像の前で一心不乱に彼が軽業を演じているのを見てあっと驚き、声をかけようとしたとき、修道院長はさらに仰天してひれ伏した。聖母がしずしずと台座を降りて、軽業師の額の汗を拭われた。――

 もちろん作り話であるが、抵抗なく情景が目に浮かぶ。信仰深い人々でなくても、こころがポカポカするような、心地よさを感じるのではなかろうか。西洋にはおそらくこうした話は無限に残っているだろう。そうした話のなかでも、秀逸な物語だと思われる。――感謝したいときに感謝すべき人もいない――という言葉に共通する気持ちと共通するみたいである。

 圧倒的無神論、あるいは八百万の、貧乏までも神である日本人にとっては、アホらしいと蹴っ飛ばしたくなるのが多いかもしれないが、縁なき衆生のひとりである自分が、聖フランチェスコや聖母の軽業師に共感してほかほか気分になるのは、やはり宗教の宗教たる品位であろう。

 冒頭、あえて勤め人・官僚というたとえを使ったが、それはただ無難に角を立てず、波風を立てず、責任が自分に降りかかってこぬように、組織集団のシステムに紛れ込もうとする悪しき態度に似ている。商売においても、クレームは顧客獲得の大きなチャンスだという。宗教が異端視されるような気風がなくはないし、まして、旧統一教会は社会的にきわめて大騒動を引き起こしたのである。だとすれば、むしろ積極果敢に、誠心誠意が感じれる記者会見にするのが宗教者としての務めではなかろうか。

 宗教団体を名乗るからには、代表者・幹部はなんといっても第一に宗教者としての風格・品位みたいなものがほしい。謙虚であればそうであるほど、見るものにはそれが伝わるであろう。宗教・信仰の自由を盾に取るのが妥当な宗教か否かが問われているのであるが、旧統一教会の会見からは、とてもそのような次元の話に至っていない。本気で省みてほしい。