月刊ライフビジョン | メディア批評

平和の原則を突き崩す既成事実の積み重ね

高井 潔司

 8月の新聞・テレビは今年も終戦特集を組んだ。その多くが加害者としての侵略国家日本よりも、ウクライナの現状を思い起こさせる、戦争に巻き込まれた被害者としての日本国民の姿を描く内容が目立つ中で、NHK『アナウンサーたちの戦争』(8月14日放送、再放送は未定)が印象に残った。日米開戦の宣戦布告、終戦の玉音放送に関わったNHKの前身「日本放送協会」のアナウンサーたちの葛藤を実話に基づいて描いたドラマだ。

「人を守るためのアナウンサーの声が兵器に変わっていく」というナレーションで始まるドラマは、ラジオが太平洋戦争の中で果たしてしまった扇動者としての役割を放送の現場から明らかにするとともに、その役割を担った2人のアナウンサー、和田信賢、館野守男を中心に、その過程で人々を熱狂させるラジオの威力の大きさ、恐ろしさにたじろぐアナウンサーたちの心の葛藤を照らし出している。

 真に迫るドラマで反響も大きかったようだで、23日付けの朝日新聞のラジオ・テレビ版の「記者レビュー」欄でも取り上げられていた。そこでは新進気鋭の館野アナウンサーに焦点を当てていた。

 ――国民を鼓舞する『国家の宣伝者』として戦争に協力してきた館野だが、史上最悪とされるインパール作戦に従軍、戦争の実相を目の当たりにし、やってきたことに疑問を抱くようになる。館野は8月15日の放送前、終戦阻止を狙う反乱軍将校に彼らの主張を放送するように迫られる。拳銃をつきつけられながらも拒否する場面は語り草だ――

 ――館野は戦後、解説委員に転じ、自分が取材した言葉にこだわったという。他人や国家の言葉に踊らされるのはもうこりごりだったのだろう。アナウンサーとしての戦争責任だったにちがいない――

 私は和田アナウンサーに注目した。開戦前すでにラジオは政府の管理下にあり、ニュースはほとんど同盟通信社からの配信を読むだけ。軍部と政府の情報局の指示と干渉を受けていた。和田は新人研修会で、「虫眼鏡で調べて望遠鏡でしゃべれ」という言葉だけを残して去っていく一見傲慢な印象を残すアナウンサーだった。だが真意は、取材を大切に、自分の言葉でメッセージを発信せよという教えであった。だが、すでに時代は素直にそう語れる雰囲気ではなかった。それでも和田は、靖国神社で戦没者を追悼する招魂祭の実況中継で、「母さん、元気かい。今年のコメの出来はどうですか? 俺がいないので刈り取りもうまくいかないと嘆かないでください。俺は英霊となってお国の為に生きていくのです」と、遺族たちの取材を通して戦死者の声を代弁した。軍部を怒らせたが、アナウンサーとしての彼なりの信念を貫いた。

 その彼も日米開戦では、大本営発表を電話で書き取り、館野に原稿を読ませる傍らで、軍艦マーチのBGMを流し、国民の戦意高揚を大いに高める放送を行う。米英に一泡食らわせる戦果の放送は、放送局内だけでなく、世論を大いに呼び起こすものだった。和田も民衆を熱狂させることにほくそえんでいた。

 戦局は拡大し、ラジオは政府の情報局の下に置かれ「電波戦の本拠地」との位置づけから、軍と政府の統制が一段と強化される。アナウンサーの中には、ヒットラーに学び宣伝戦をうまく戦うべしというグループ、いや事実を冷静に伝えるべきというグループに分かれる。館野は前者、和田は逡巡しながら後者に属していた。そして日本の勢力圏の拡大とともにアジアの各国に放送局が開設され、アナウンサーたちは宣伝戦の最前線に送りこまれる。その多くは前者に属する人たちだった。

 しかし、勝利、勝利の大本営発表とは裏腹に、戦況は日本に不利に陥っていく。和田は酒瓶を片手に、海外放送を傍受する同僚の元に足繁く通い、敗北へと向かう戦況を聞き出す。それでも嘘の大本営発表の放送を続ける自身を責め続け、酒浸りの日々を送っていた。かつての部下で、新人研修会で、「虫眼鏡」の話を聞いた妻はそんな彼に、「虫眼鏡の話は取材をしっかりして発信しろという教えだったんでしょう。ちゃんと調べて語るから、招魂祭の時のあなたの言葉には力があった」と、批判とも受け取れる励ましの言葉をかけた。

 学徒出陣式の実況を命じられた和田は、一念発起、学生寮を訪ね、学生たちから本音を聞き出そうとする。いまさら本音など聞いてどうすると学生たちは反発もあった。いよいよ出陣式の当日、靖国の招魂祭同様、学生たちの「死にたくない」という本音の声を原稿にして本番に臨む。だが、本当にこの原稿を読んでいいのかどうか、思い苦しんだ和田は雨の降りしきる会場で倒れ込んでしまった。代わりのアナウンサーが威勢の良い声で出陣式を実況中継した。このあたりのシーンは実際の映像を重ね合わせ、和田の葛藤を見事に描いていた。

 このドラマを通じて、私が強く感じたのは、既成事実が積み重なり、世論が出来上がってしまうと、もはやメディアは後に引けないということだ。館野は開戦となった以上、放送が宣伝機関となることは当然と積極的で、前線に赴く。そこで初めて戦争の悲惨さを知り、終戦時には冷静さを取り戻す。その意味では、和田の方がいまの日本の状況下では教訓になる。和田は開戦当初から戦争に疑問を抱きつつ、実務者として宣伝者の役割を担ってきた。戦況が進み、不利となり、宣伝者であることの恐ろしさに気づき、何とか抵抗をと考える。が、時すでに遅し。既成事実の積み重ねの中で身動きが取れない。和田自身、世論の戦意高揚に手を染めてきたのだから、なおさらである。

 さてドラマを離れて現実の報道を見ると、24日付け朝日の朝刊一面は「次期戦闘機の輸出容認」「条件満たせば殺傷能力のある武器も」と政府の見解を伝えている。

 この政府見解は、日本がイギリス、イタリアと共同開発している次期戦闘機を念頭に、自民、公明両党が防衛装備移転三原則の運用方針の見直し作業協議に対して示された。従来の政府見解から大きく逸脱するものだが、その変更の理由は、「日本だけが制約を課していると共同開発国から第三国への輸出の支障になり、ひいては共同開発の枠組みに影響を及ぼしかねない」(朝日社説)からだという。共同開発という既成事実を口実に、原則を曲げるということだ。これでは、無謀な侵略戦争を反省し平和国家を目指した戦後の反省の原点からますます遠ざかることになる。そもそも共同開発の時点で第三国への輸出について議論しておくべきだった。

 しかも、この方針転換は、敵基地先制攻撃の保有やそれを可能にする防衛費の大幅増を打ち出した安保三文書の改訂同様、国会の論議もなく、自民、公明の与党と政府によって推し進められている。

 一連の動きは、北朝鮮や中国の軍事的脅威の拡大が背景となっている。だが脅威の緩和を外交交渉によることなく、ひたすら防衛力の拡大に求める。その結果、相手側もこうした姿勢に反発し、ますます軍事力の強化に走ることになる。お互いが、地域の安全保障環境を悪化させている。こうした悪循環をもたらす既成事実の積み重ねに歯止めをかけなければならない。この面でのメディアの役割は極めて大きい。しかし、日本の場合、被害者意識ばかりが前面に出て、むしろメディアによって世論形成が着々と進められている。その結果、先の戦争の教訓を基に、築き上げてきた平和国家を目指す原則、枠組みが、次々と崩されつつある。


◆ 高井潔司  メディアウォッチャー

 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て、桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授を2019年3月定年退職。