月刊ライフビジョン | 地域を生きる

4年ぶりのマンション納涼会

薗田碩哉

 わが住むマンション(戸数134)で2019年の夏以来、4年ぶりとなる納涼会を開いた。

 筆者は当マンションのレクリエーション係で、住民の四季折々の交流イベントを長く担当してきた。そもそものはじめは2011年の東日本大震災で、激しい揺れに見舞われて慌てて中庭に下りてきた住民たちが互いにほとんど面識がないという事実に気づかされ、緊急時の助け合いも念頭において、お互いのつながりをもう少し深めましょうということで、その翌年辺りから交流活動が始まったのである。現役時代は「レクリエーション」を仕事にしてきた身として、リタイア後の社会貢献のつもりで、正月の餅つきに始まり、花見やら七夕やらハローウィンやらクリスマスやら、大人も子ども一緒に楽しめる行事をマンションのロビーや中庭を会場に開いてきた。

 夏の大イベントはビヤガーデンまがいの納涼会である。地域の酒屋から10~15㍑ほどのビールを仕入れ、ボンベに入った炭酸ガスの圧力でそれをジョッキに注ぐサーバーを借り出し、おつまみや軽食を用意し、子どもらにはジュースとお菓子、傍らにはビニールのたらいに水入り風船を浮かべた幼児のヨーヨー釣りや、中庭では小学生中心のスイカ割りが賑やかに展開するという図である。親父たちはジョッキを飲み干して気炎を上げ、カミさんたちも負けてはおらず、ワイン傾け井戸端会議に花を咲かせるという光景が毎年繰り返し展開されていた。

 そこへ例のコロナ騒ぎである。あらゆるイベントは中止、わずかに夏の七夕飾りと冬のクリスマスツリーだけは、有志が準備してロビーに設置するというだけになってしまった。コロナの20年、21年はもちろん鳴かず飛ばず、咋22年になって復活の話も出たが時期尚早と見送られた。やっと今年になって管理組合理事会がオーケーを出してくれた。さっそくマンションのコミュニティ委員会を中心に準備を進め、チラシを配りポスターを張り、ビアパーティにふさわしい猛暑の中で当日を迎えた。

 ところが、である。以前と違ってさっぱりお客さんが現れない。賑やかにやってくるはずの若い親父たちも年配者もご婦人方も、歓声を上げて駆けつけてくる子どもたちも姿を見せない。仕方がないので、準備担当の仲間たちや応援のメンバーでポチポチ始めることにした。日曜の昼間、外は照り付ける太陽、冷房の利くロビーでサーバーから噴き出してくる白い泡と黄金色の液体の味は悪くない。同じ建物に住んでいると言ってもめったに顔を合わせることもなく、互いの名前さえうろ覚え、この4年間交流行事もストップしていたのだから、「ほんとにお久しぶり」ということで話は盛り上がる。玄関を通りぬける人を呼び止めたり、各戸につながるインターホーンで呼び出したりもして少しずつ参加者は増えたが、それでも大人子ども合わせて30人と少しというのがこの日の参集者だった。少なくとも300人以上は住んでいるはずの住民の1割に過ぎないことになる。

 4年間の遮断期間を過ごして、いろいろなことが変わってしまった。まずは住民同士、互いに以前よりよそよそしくなったことは否めない。エレベーターに乗り合わせてもひとこと挨拶するという人はまれで、たいがいはダンマリを決め込んでいる。管理組合の会合は、もうすぐ始まる20年目の補修工事を前に、しばしば開かれているが、出席する人は20~30人ぐらいで、いつも同じような顔ぶれだ。圧倒的多数は「無視」か「お任せ」ということになる。この国の民衆の政治的無関心は、自治体選挙の投票率が3割程度というところから国政にまでつながっているが、その大本は、近隣関係の薄っぺらさにあるのではないかと思われる。

 それに4年分、みんなが歳を取ったということも見逃せない。だれだれさんは足を悪くして家に閉じこもりだったり、老人ホームに引っ越しされていたり、はてはすでにこの世に別れを告げられた方もあるというわけだ。ご婦人方の中には一人暮らしも増えて、そういうケースで元気な人は、納涼会を楽しみに出てきたと言ってくれた。確かに、今回の参加者は男性陣よりも女性陣の方が多くなった。納涼婦人会という趣である。

 うれしかったのは高校生が何人もやってきてくれたこと。それぞれ自己紹介をしてもらうと、いま高校何年生、「クラブはバスケット部です」とクラブ所属で自分を説明するのが面白かった。そしてハタと気づいたことがある。そう、この子たちは前回4年前にはまだ小学生・中学生で、スイカ割に興じていた連中なのだった。あの時のおてんば娘がすらりと背の伸びたすてきなお嬢さんになって、おしとやかに語っているのだ。こればかりは、4年の歳月の経過に希望を感じさせてくれる一事だった。

[地域に生きる 2023年8月] 2023マンション納涼会の一コマ

 男性陣よりも、元気なご婦人方が意気盛ん。ビールとともに話も弾む。

薗田碩哉(そのだ せきや) 1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。