月刊ライフビジョン | 地域を生きる

町内会は何のためにあるのか

薗田碩哉

 わが「さんさんくらぶ」が本拠地を置く町田市小野路町は、町田市の北のはずれ、多摩ニュータウンと境を接する緑の深い一帯である。もともとは東京都南多摩郡小野路村という一村をなしていて、それが町田市に吸収されて一町となったので、都会ならどこにでもある「丁目」がない。番地は1丁目2番地3号というのではなく、2桁から4桁の数字である。さんさんくらぶは「小野路町5336の7」という番地で、いかにも田舎風である。町の大半を占めるのは多摩丘陵の雑木林やあちこちに残る畑、谷の一角では最近復元された棚田の稲が風になびいている。幹線道路沿いには小工場や住宅やマンションが増え始めた。町内の人口は3600人ほど、町の面積は縦横2㌔で4平方キロあるので、人口密度900人/㎢。これは町田市全体の密度6000人/㎢に比べるとたいへんな過疎地ということになる。

 町の中心は旧鎌倉街道の宿駅の1つだった小野路宿で、両側にゆったりした家並みが続き、土蔵や門構えの屋敷が残って少しばかり歴史を感じさせてくれる一角である。町を仕切る庄屋の一軒だった大きな家屋は、市の経費で改装されて「ふるさと交流館」の看板を掛けるようになり、小野路の歴史や農村時代の暮らしぶりの資料を展示したり、手作りのうどんやコーヒーを提供するカフェを作って、周辺の農家で採れた野菜を売ったりしている。この辺りを散策に来る都会人たちの憩いの場というわけだ。その隣りの小野神社は平安初期の文人・小野篁(タカムラ)を祭る由緒ある社で、立派な神輿が安置してある。秋にはこの大神輿を白装束の男たちが担いで練り歩くというお祭が営まれてきた。

 筆者がこの町のはずれに「さんさん幼児園」を作った40年前のころは、旧村時代以来の伝統やしきたりがしっかり残っていて、宿(しゅく)の名望家の何軒かが町内会を切り盛りしていたという感じだった。正月の初詣に始まる季節の行事、盆踊りや秋祭り、それに学校の校庭を借りての「町内運動会」もあってなかなか賑わっていた。秋まつりには神社の舞台で芝居が演じられた。と言っても古式豊かな神楽や郷土芸能はさすがに廃れていて、地元有志のやくざ芝居「国定忠治子別れの場」なんて言う出し物で、観衆は敷物を持ってきて神社の庭に思い思いに座って弁当を広げながら楽しんでいた。

 そうした町内のまとまりやそれを実証する行事が、40年のうちに次第に低調になり、消滅していったのは時代の趨勢ということなのだろうか。昔からの家々の当主はいやおうなく高齢化していく。次の世代の多くは、この交通不便な山里を捨てて都会に出て行ってしまう。宿の街並みにあった「煙草屋」という屋号の酒屋さん(酒はもちろんスパーマーケットみたいに何でも売っていた)は親父が亡くなって廃業、一家そろって出て行って江戸期以来の古い家は取り壊されて更地になってしまった。各家の周辺にたくさんあった畑が潰され次々とアパートが建って若い夫婦が移り住んできたが、その面々は地域には全く関心を払わず、休みの日には車を飛ばしてどこかへ行ってしまう。新住民で町内会へ入ろうとする人はめったにおらず、町内会はそのまま老人会に移行してゆき、町内イベントも低調になって行った。そしてコロナがとどめを刺した。盆踊りも祭りもこの3年、中止が続いている。

 6月に町内会長さんが「さんさんくらぶ」にやってきて、近年の苦境を話してくれた。少なからぬ住民が「町内会を必要と思っていない。町内会がなくても別に困らない」というのだと。1年に3千円の町内会費を払ってくれる人がどんどん少なくなっている。これに対抗して会長さんが作ってきたチラシには、「もし町内会がなかったら」という切り口で町内会の存在意義を次の2点にまとめていた。

 1つ、町内会がなかったら災害時の避難所開設ができなくなる。これは町内会の自主防災隊が担当しているからである。町内会がないと、災害が起こった時、逃げる場所が見つからないかもしれない。

 2つ、都や市が住民活動へのさまざまな補助金・助成金を支給しているが、そのほとんどは町内会・自治会を対象としたものだ。町内会がないと、こうした行政からの支援を受けられなくなる。

 この説明がコミュニティ意識の希薄な新住民にどのくらい説得力があるのか、いささか心もとない。昔からの住民でも町内会を敬遠する人が出てきているというのだ。町会長さんは、他にも盆踊り練習会の案内や警察が配っている振り込め詐欺への警鐘や社会福祉協議の出張講演会の呼びかけなどのチラシを置いて行った。こうして一軒一軒説得に歩く町会長さんの苦労を多として、わが「さんさんくらぶ」は喜んで会費を拠出したことであった。

 地域のつながりのいちばんの核心にあるのは何なのだろうか。災害時の相互協力、犯罪の防止、近ごろ増えた徘徊老人の保護や見つけ出し。こうした生活上のマイナスをゼロに戻すためには、確かに支え合いは必要だろう。しかし、もっと前向きの、ゼロからプラスを獲得するようなつながりを作れないものだろうか。昔の祭りは確かにそうした住民の楽しみや生きる手応えを引き出す仕掛けとして意味を持っていたのだと思われる。この夏には、3年ぶりの盆踊りや村祭りを訪ねて、そこにどのくらいの親和力があるのか、見極めてみたいと思っている。


【地域のスナップ】 田植えと巫女舞    

  さんさんくらぶの田植えの折りには、五穀豊穣を願って、子どもたちから年寄りまでみんなで唱える「祝詞=のりと」を上げてきたが、今年はそれに加えて巫女さんの奉納舞いを田の神様に奉げた。

 紅白の衣装をまとい、鈴を鳴らしての巫女舞は美しく、その後に、みんなそろって体操みたいな舞いをしたのも楽しく、神々も喜んでこれらを受けてくれたと思う。

[地域に生きる 2023年7月]