月刊ライフビジョン | off Duty

東日本復興再開の動きを訪ねる

曽野緋暮子

 11月下旬、私が応援しているAMDAから、コロナ禍で2019年秋を最後に中止が続いている東北支援ボランティアの誘いがあった。東日本大震災以降、仮設を転々としていた岩手県大槌町の健康サポートセンターがやっと本設となり、12月4日のリニューアルオープンに際してオープニングイベントの準備と当日のお手伝いである。併せて2019年以降中止になっている「復興グルメF1大会」を、今後どうするか関係者と意見交換も大きなテーマだ。

 秋以降一旦収束の気配をみせていたコロナだが、寒さが近づくに連れて怪しくなってきているため、スタッフとボランティア各2名の計4名と少人数で参加した。しかし出発予定の3日前、11月28日に大槌町には行けないとの連絡があった。人口1万人超の町で100人超のコロナ陽性者が出て、県外者受け入れNGになった。急遽、日程を1日短縮して気仙沼市、陸前高田市、南三陸町で「復興グルメF1大会」の今後についての意見交換と気仙沼市で食料配布準備作業をすることになった。

 12月1日約7時間かけて、午後14:10気仙沼駅着。復興グルメFI大会事務局長がレンタカーで出迎えてくださった。3年の間に変化した街を見学。最初に気仙沼湾をぐるりと囲う防潮堤。要塞ほどではないが、立派な防潮堤で海を感じることができなくなったのは残念だ。

 次に、津波を逃れて皆さんが避難された安波山の麓にできた気仙沼市復興記念公園に行った。テレビで見たモニュメント「祈りの帆」がある場所だ。犠牲になった方々の鎮魂のための広場で犠牲になった方々の銘板も設置されている。

 平日の夕方に、その銘板を見つめている家族連れがいた。今は穏やかな海だが、当時は想像のつかない光景だったことだろう。9年前、私がここから見た時でさえ建物がほとんどなく、空き地が拡がり、漁船が県道沿いに乗り上げている風景だった。今は漁船は撤去され、道路が整備され、建物が立ち並んでいる。

 その後、復興グルメFI大会事務局に行き、東日本大震災やコロナ禍で生活が困窮している方々への食料配布用の米を2キロずつに袋詰めする作業をした。

 翌日はレンタカーで陸前高田市のたまご村に行った。この地区は高台にあり、震災後仮設商店街ができた場所だ。津波で流された大規模な更地には大手資本が入ったモール等ができているため、商店街では苦戦が続いているそうだ。復興途上でのコロナ禍は大きな痛手だ。でも、高齢者が集う体操教室、健康マージャン、手芸等のサークル教室開催等、復興の工夫を凝らしているそうだ。

 陸前高田と言えば、「奇跡の1本松」だ。今は完全なモニュメントに変わっているが、隣に東日本大震災津波伝承館が建造され「高田松原津波復興祈念公園」の中で観光の大きな目玉になっていた。

 その後、開通した三陸沿岸道路を通って南三陸町さんさん商店街に移動した。最初に商店街に隣接している、ことし10月にオープンしたばかりの東日本大震災伝承施設「南三陸311メモリアル」に行った。建物の2階からかつての南三陸町役場等々震災メモリアルを見ることができる。

 気仙沼、陸前高田、南三陸町での意見交換で心に残ったことは、11年経ち東日本大震災の被災地はもう、被災地と言うより復興地ではないかと言う話がある。しかし、記念館、道路等のハード面は進んでいても各市町ともに雇用が少なく、年々約1000人の人口減、住民の高齢化が進み、生活面では復興にはほど遠いと言われていたことだ。この現象は被災地に限ったことではないと思うが、やはり、東日本大震災の爪痕は想像以上に深いと思う。来年1月以降、コロナの収束が見えたら、やり方を工夫して復興グルメF1大会をぜひ再開しようと前向きな意見で締めくくれたことは大きな収穫だ。その時には元気で参加しなくては!!!