月刊ライフビジョン | ビジネスフロント

GDP「2%」の目指すもの

音無佑作

 ウクライナでの紛争が始まって半年以上が過ぎましたが、依然として停戦や和平への兆しは見えず、ウクライナの人たちの苦労は続いています。

 ウクライナに対して、欧米から次々と武器が供給されるニュースを見ていると、日露戦争の風刺画で、立派そうな身なりをした紳士が、軍服を着た少年兵に、ひげを蓄えた大男の焼く栗を取りに行かせる姿を思い出してしまうのは、私だけでしょうか。

 欧米を始め、アジアの国々でも、ウクライナの惨状を我が国に起こしてはならぬと、軍拡の動きが盛んになってきています。

 日本でもこれまでの「防衛費はGDPの1%」という枠を超え、2%程度にしようという議論が盛んになっていますし、世論もこれを支持する声が増えているようです。1%ポイントの差と言われると大きく感じないかもしれませんが、およそ5兆円の増額ということを考えると、今でも借金まみれの国家財政を将来どうするつもりなのか、別の面で不安が拡がります。

 はたして、防衛費は、どれだけあれば安心できるというのでしょうか。

 かわぐちかいじ氏の漫画「空母いぶき」では、物量的に上回る相手に対し兵器の性能差と巧みな戦術により、相手を退けるというような展開が描かれていましたが、科学技術の発展スピード差を考えると、兵器の性能差も今後どうなっていくかわかりません。

 経済が衰退や停滞している相手ならいざ知らず、世界屈指の高成長を遂げている国を相手に、いざ事を構えると考えたならば、防衛費なぞ、いくらあっても安心できるとは思えません。

 政界において、防衛費の増額を声高に叫んでいる方々の多くは、そもそも日本国憲法はアメリカ主導であるとして、あまり納得していない方々であると私は認識しています。

 特に憲法制定や日米安保に携わった政治家の血を引く方々は、防衛費の増額を単に日本海の向こうへの備えというだけでなく、太平洋の向こうも睨み、日本の自立を目指して、戦後体制からの脱却を目論んでいるように感じます。そんなことを目指すとなれば、どれだけの防衛費が必要となるのか、図り知れないことでしょう。

 軍事費にどれだけ予算を費やして備えようが、安穏な平和は保てないということに、私たちは2001年9月11日(米国での同時テロ)に気づくべきでした。にもかかわらず、その後の世界は、力で相手を圧倒することによって、平和を保つという風潮が続いています。

 話し合いや相手への理解こそが大切だということがすっかり忘れられている感があります。今般の台湾への米要人訪問にしても、相手を刺激し挑発しているとしか思えません。人権擁護を訴えるならば、なぜ当該国へ出向いて、直接話をしようとしないのでしょうか。

 9月と言えば、かの大戦の発端となった1931年満州事変を起こした月です。その頃の歴史に触れてみると、こうしていれば戦争にはならなかったのではないかとか、あれだけの戦争にはならなかったのではないかとか、考え込んでしまいます。

 のちの世になって、「あの時、こうしていれば」と後悔しないよう、今を考えたいものです。

 3月、6月や8月の戦争犠牲者を想う黙とうも大切ですが、9月18日(満州事変の柳条湖事件)もまた、「過ちは繰り返しません」と改めて誓うことが大切ではないでしょうか。