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投票行動で民主主義を『調教』しよう

 2022年7月10日の日曜日は参議院選挙の投票日だった。昼食を済ませ、「暑いなぁ」とこぼしつつ投票券を握りしめて、投票所に向かうそのときふと、天から降りるものがあった。「生かさぬように、殺さぬように、だな…」。

 この言葉は、「農民からはなるべく多くの年貢を取り上げて、彼らの生活に余裕ができないようにするが、死んでしまうほど取ってはいけない」くらいの意味ではないかと思っている。労働者や庶民を生かさぬように殺さぬように、政治が上手に誘導しているのが現代日本社会である。

 まずはいま、バブルをぶっ壊し、給料を増えなくした上で消費税を取りまくり、高い所得税や市民税は減額の予兆もなし。年金なんて、掛け金はびっくりするくらいに高いのに、給付の方は、物価スライドだのなんだので、減らす算段ばかりだ。国民健康保険料も結構取られていまっせ。

 諸悪のご本尊、K泉とT中コンビによる「痛みを伴う」構造改革では、郵政の民営化やら非正規・派遣社員の登用OKやらがジャンジャン行われ、ご本尊の周りには、大物小物の悪鬼や魑魅魍魎やらが群がって、さながら暗黒世界の地獄絵図である。

 江戸時代なら話が分かりやすかった。幕藩体制で武士階級は世襲であるから、支配層を規定することはそう難しいことではない。年貢を取り立てる方が支配層で納める方が被支配層、つまり農民となるわけである。

 ところで現代における支配層とは何であろう? なぜ、「生かさぬように殺さぬように」を実践し続けられるのであろうか?

 「生かさぬように殺さぬように」とは明確な言葉にされない、意識されない不文律であるから、明確な批判の対象にならない。

 支配層は、罪務省、与党、大企業などであるが、示し合わせて行動している様子はなく、しかしながら、効率的に「生かさぬように殺さぬように」を実践している。「なぜ?」を考えた時には疑問は深まるばかりだ。

 江戸時代ならば考える余裕など与えてしまうと、自由とは、平等とはなどと幕府にたてつくかもしれないのでギリギリの生活をさせるというのが策略だろうが、今はインターネットでちょっと検索すると、支配層のおかしなことにはすぐに気が付くであろう。

 だが、被支配層は抵抗しない。最初のころは、国民がどこまで耐えられるか実験しているのかとも思ったが、爆発すると大変そうだから、まさか”実験”ではなかろう。不思議なことになったものだ。

 このひどい状況に国民が目覚めて抗議するように『教育』しているかというと、本当に抗議し始めたら面倒なことになりそうなので、これも違うだろう。国民を支配するための暗黙の施策というのが、今のところの私の答えである。

 これをこのまま放置しておくと、国柄はどこまでも貧しくなりそうだ。現代の日本国民は一揆もできず、ストも起こせずデモもしない。筆者とて、当事者としてストやデモに参加するのは嫌だ。おそらく多くの国民は、私と同じような感情を抱いているのではないかと思う。

 一番簡単な方法は『選挙で調教』することである、与党と野党をコロコロ、入れ替えられるように投票することだ。だがこれとても、半分くらいの国民は選挙に行かない。生かさぬように殺さぬように、良いようにあしらわれているのに、何ら対抗策も持たず日々のほほん、先細りになるばかりだ。ああ、たぶん、今日の選挙も生かさぬように殺さぬように、施策が実施強化されるようになってしまうんだろうな、と思いつつ、投票用紙を投かんした。

 深夜から翌朝、ああやっぱりと落胆しながら、インターネットで選挙結果を確認する。選挙翌日の最終結果を見て、「このままだと最低ラインの、落ちるとこまで落ちますよ~~」と心の中で叫んでいた。