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医療現場の声を聞こう

編集部
医療現場で働く人たちの声

 オミクロン株による第6波が拡大中だ。どうもそれらしい打つ手がないようで、政府と専門家の分科会の見解が定まらない。専門家はさらにリスクが高い環境での対策に関心が移っている。経験ずみの自粛=自主的ロックダウンをやるべきかどうかも焦点だろうが、格別新しい対策が発せられそうにはない。

 1月24日に厚労相は、重症化リスクが低い軽症者は、受診せず自己検査で自宅療養する旨を表明した。外来が逼迫して手に負えないから、自己責任でやれということだ。すでに感染急拡大で医療提供体制が逼迫して、お手上げの感である。

 とりわけ、介護や医療従事者など、エッセンシャルワーカーが追い込まれている。もっとも感染リスクが高い人たちで、コロナ騒動において、人手不足が大問題である。医療従事者は、濃厚接触者になった場合、待機期間を5日とし、検査して日とし、検査して陰性であれば勤務可能という、待機期間の短縮で運用する方向である。

 感染した人も大変だが、医療を直接提供する人々の負担はきわめて大きい。今回は、まず、医療現場で働く人たちの苦悩・苦労から考えてみたい。

看護師の訴え

 以下に紹介するのは医療現場で活動する看護師の切実、悲痛な訴えである。昨年、第5波(9月)の最中の声であるが、いまは、第6波でますます事情逼迫している。わたしたちは門外漢であるが、少しでも現場の事情を理解したい。(なお、本文は、資料を編集したもので、責任は編集部にある)

 *資料を提供してもらったのは、全日本国立医療労働組合(委員長:前園むつみ 組合員数約2万人)である。国立病院機構、国立高度専門医療研究センター、国立ハンセン病療養所などの職員で組織され、組合員の職種は、看護師・助産師、医師、看護助手、臨床検査技師、放射線技師、栄養士、理学療法士、作業療法士、児童指導員、保育士、療養介助職、事務職、技能職(ボイラー技士、電気士、調理師など)などである。

 意見A コロナ受け入れ病院の看護師です。現場はつねに人手不足です。スタッフは疲弊し、退職する人、メンタル不全で仕事ができなくなる人もいます。N95マスクはまだ不足しており、汗をかいて不潔になるマスクを1か月以上使い続けています。当院は、オリンピック指定病院で、大会期間中は重症者の受け入れ輪番から外れると聞きましたが、重症者の受け入れを他の施設がおこなえるのでしょうか。命より大切なオリンピックはあるのでしょうか。政府の判断の誤りでたくさんの被害者を出していると思います。これは人災だと感じています。国公立病院の統廃合を止め、人手を増やして安全な医療を提供できるようにしてください。

 意見B 精神科の患者さんのワクチン接種が進んでいません。抵抗力のない方、マスク・手洗いの苦手な方も多くいます。ワクチンの効果があるなら、早く進めてほしいです。

 精神科で、コロナ禍の制限によるストレスに耐えられない方も多く、スタッフに怒りをぶつけることが多く、悪循環になっています。

 意見C コロナ以前から看護師は寝る時間を削って働いています。シフト間隔の短い日勤→深夜、準夜→日勤、一晩中の二交代勤務などきついです。心電図、呼吸器、各種機器のアラーム、ナースコールが鳴り響き、どこから行けばよいか、病棟にいて救急車を呼びたい状況になることもあります。これ以上は、燃え尽きてしまいます。

 意見D 救急外来で勤務しています。コロナ発生から1年以上たっても設備が整っていない。発熱外来のプレハブ、発熱患者用のテントは、冬は寒く夏は暑く、体調のすぐれない患者にとってナンセンス。看護師は、他の救急患者の対応をしながら問診するため、ガウン着脱、感染リスクにおびえながらの業務。国立病院が最後の砦となれるよう設備と体制を整えてください。

 意見E (重症心身障害・難病。筋ジストロフィーの患者受け入れで)コロナ以前から人員不足。産休・育休・病休で夜勤ができる人が減り、日勤もいつも忙しく、医療事故を起こすのではないかと不安。夜勤は40~50人の患者を3人で看護、1人が休憩に入れば2人しかいない。みんな疲れている。

 意見G コロナ病棟に看護師をとられ、重度障害者の病棟ではナースコールが鳴りっ放しです。感染拡大で、どこもかしこもパニック状態です。みな辞めたいと言っています。

 意見H 防護服装着の作業は汗だくになり、フェイスシールドも曇って見えにくくなり、かなり堪えます。感染リスクと隣り合わせで細心の注意をはらい、神経をすり減らしながら日々働いているのに理解してもらえない。コロナ患者が少なくなれば、あちこちに応援勤務に出され、私たちはコマです。ストレスから同じ病棟で1年に6人辞めています。

 意見I コロナ中等症まで受け入れている病院の小児科病棟の看護師です。コロナ専用病棟の他に、子どもの感染症のための陰圧個室をコロナ患者に提供してきました。重症心身障害児もいるなかで、感染の不安は拭えない。これは戦争だ、まだ頑張らないと、と思って踏ん張ってきました。でも、私も、もう限界を迎えたようです。自分の心身がおかしくなるくらいならと、もう看護師を辞める決断をしました。医療者も人間だということを思い出してください。

 前述は、たくさんある声のなかから、ピックアップしたものである。いかに、医療従事者が使命感に燃えているとしても、超人たることはできない。自分と家族の生活を平常に維持できない。苦労と苦悩にあって頑張り抜こうとしても限界がある。次の発言は、それに追い打ちをかけるような事情を物語る。

 意見J 感染リスク追いながら職員はギリギリのところで働いています。頑張って働いているのに感染したらバッシングをうけ責められるのはおかしい。差別もあります。コロナを受け入れていると、悪口を書いた手紙が病院に送られてくることもあります。 

コロナ騒動が浮き彫りにした問題

 エッセンシャルワーカーという新語! が登場して、社会通念としては大変な仕事をしていただくのだから感謝の気持ちが強い。同時に、無意識のうちによろしくお任せの気持ちになっている面も否定できない。

 前述「J」のような問題があちこちで発生した。一方、自粛警察というような動きもあった。幸いと言うべきか、社会秩序を崩すような勢いはないが、コロナ感染のような誰もが渦中にある事態が発生した場合、社会全体が心身の均衡を失わないようにすることは大前提である。 

 同組合は、「医療崩壊を許さず、地域医療と国立病院の機能強化を求める声明」(昨年9月)を発し、国会請願署名に取り組んでいる。

 ――セーフティネット医療を担う国立病院であっても運営は採算性が強く求められています。「政策医療の遅滞なき遂行のため」として、運営交付金が繰り入れられていましたが、2011年から診療事業への繰り入れはゼロにされ、結果、結核病床など不採算部門は縮小・削減が続き、看護師配置も公的病院のなかでも低い員数に抑えられています。(中略)国にたいし、国立病院をはじめ地域の「医療崩壊」を防ぎ、国民の命と健康を守るため危機管理の強化を強く訴えます。公立・公的病院の統廃合を中止撤回し、新興・再感染症の拡大、大規模災害の緊急事態の場合に備えた万全の医療体制を求めます。――

 この主張は、同組合にかぎらず、多くの人が共感するだろう。

 実際、いままでのコロナ騒動の背景は、わが国の感染症対策がほとんど手薄であったと言わねばならない。さらに国民医療の在り方は、健康保険料や医療費など費用面ばかりが目立つ。たまたまコロナ騒動が発生して、私たちの盲点を突かれたと言うべきだ。

エッセンシャルワーカー

 エッセンシャルワーカー(Essential worker)とは、いわゆる緊急事態において、最低限の社会インフラを維持するために必要不可欠な労働者の意味である。キーワーカー(Key worker)、クリティカルワーカー(Critical worker)とも呼ばれる。

 この言葉は以前からあるが、2019年の新型コロナのパンデミック下、イギリスで、感染拡大を防止する目的で、職業を社会インフラ維持に必要不可欠な職業と不要不急の職業の2つに区分して具体的なリストを作成したことから、世界的に広まった。

 すぐに気づくのが、医療・介護で働く人である。医師・看護師・救命救急士・薬剤師・栄養士・介護士などである。食品・日用品・衛生用品などの生産から販売・配送の一連の仕事に携わる人、交通・運輸で働く人、電力・ガス・上下水道、電話・通信、金融の仕事もそうだ。放送など公共サービス、政府・自治体で働く人も、である。

 人間は社会的動物である。巨大かつ発達した現代社会において、社会から離れては生きられない。誰もが社会機能の円滑な働きによって生活している。極論すれば、おおかたがエッセンシャルワーカーだと言えなくもないが、それらをコロナ対策において、可能な限り絞り込んだのである。姿が見えないコロナの不安は依然として大きい。外出制限ともなれば、スーパー・コンビニの存在感が大きい。いずれにせよ格別、感染した場合に頼りにするのが医療機関である。

感染症の知見

 今年で3年目になるコロナ騒動では、感染しなかった者にとっても、すぐに思い出せないくらい、さまざまな体験をした。

 いままでの印象は、たとえば、感染症研究では世界最先端を行くと思われていたアメリカが、7千万人を超える感染者、90万人近い死亡者を出している。在日米軍関係の爆発的感染を見ると、感染症対策は、まさしく総合的・全体的でなければならず、科学的知見だけではなんともならない。

 日本国内を考えれば、2019年のダイヤモンドプリンセス号横浜入港以来、不慣れのなかで関係者が獅子奮迅の活躍をされたことは認めるとしても、感染拡大防止対策全体がギクシャクし続けてきた。専門家の対策発言のおおかたは、ズブの素人でも常識的だと思うが、その背後に科学的知見が蓄積されているにしては、なにかと心許ない感を否定できない。

 いずれにせよ、みんなが可能な限り科学的・合理的に考えて行動せねばならない。コロナが現代社会における啓蒙の重要性を浮かび上がらせたともいえる。

コロナ騒動の検証・総括 

 100年前の「スペイン風邪」感覚のような全世帯マスク配布、東京五輪をめぐる騒動など、科学的知見のなさ、問題意識の中途半端さから、対コロナ戦略としての行動が拡散した。しかも、事後検証もなく放置されている。残留マスクの倉庫代がかさむなど、笑い話にもならない。相変わらず、問題は時間が解決してくれると言わんばかりの対応が続いている。

 岸田氏の自民党総裁選出馬から最近の施政方針演説まで、ほとんど公約の進展がない。安倍・菅政治の批判から、顔を付け替えたのが、自民党得意の戦術であったが、顔は変わったものの、おおかたの中身や政治手法が、まさに前例踏襲であって、新鮮味らしきものがない。

 岸田氏が、2019年からのコロナ対策について検証・総括して、6月に新たな司令塔を設置するという公約は、唯一、注目できる要素である。6月というのが間延びして遅いのは誰もが思う。目下、第6波の感染拡大中である。すでに過去5回の貴重な体験をしてきたが、コロナ対策の仕切りは前進していない。

 たしかに、徹底検証・総括をやるならば、時間も人手も必要である。だから6月というのは必要な時間だと岸田氏は答弁した。かりにそうだとしても、ただいま、いかなる陣容で、検証・総括に着手しているのか程度は、答弁するべきである。未着手で、時間が必要だと逃げを打つのであれば誠実ではない。

 そもそも、自民党政治においては、選挙公約を派手に打ち上げるけれども、具体的進捗のフォローがない。大きな事業をおこなった場合、検証・総括するのは不可欠の作業のはずだが、まるでそれがない。言いっ放し、やりっ放しの政治がレベルアップしないのは当たり前である。

 個人にしても、社会にしても、状況から刺激をうけて、状況との相互作用を起こす。状況対応とは、状況に合わせて事態をやり過ごすことではない。それでは日和見主義である。本当に現実主義に立つのであれば、状況を踏まえて、事態の改善に向かって苦心せねばならない。目下のコロナ対策においては、科学的・技術的進展が見られず、猛威が過ぎ去るのを待つという日和見的態度である。

 状況を新たな知見とするためには、一定期間におこなった施策について検証・総括するのが当然である。かりに、失敗の集積であったとしても、反省するなかから次なる展望が開く。だから、岸田氏が、コロナ取り組みの検証・総括をおこなうのであれば、これは、表面的な政治取り組みの後始末に止まらず、今後の感染症対策において、科学的知見を生み出す材料になる。

 人にしても資金にしても、この間のコロナ騒動における放出は巨大である。せっかく大きな授業料を投入し、たくさんの人々の力を投入しているのであるから、この社会的体験から反省して学ばない手はない。ものごとを計画し、実行し、反省するのは、人間や社会が深化するために不可欠の手順である。これは与野党問わず、活動のプロセスにきちんとビルトインしなければならない大切な課題である。

 まだ、コロナ騒動が収束する兆しはないが、場当たり的に事を処理して過去のものとしたくない。社会に発生する問題のすべては、突き詰めれば1人ひとりの問題である。

――憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。② 国は、すべての生活部面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。――


 ◆ 奥井禮喜 有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人