月刊ライフビジョン | 家元登場

祝意の表現

奥井禮喜
祝意の表現

 わたしは1963年18歳で社会人になった。それから70年代いっぱいが、社会的にもっとも民主主義的気風が強かった。70年前後から結婚する仲間が出た。男連中はほぼ素寒貧だ。チープレーバーのくせして立ち飲みカウンター常連、喫茶店常連ばかりだから貯金がない。故郷の親の生活もやっとである。お互い長期出稼ぎだと規定する状態だから、さあ困った。若い組合仲間が結婚式実行委員会を立ち上げた。賃金2万円程度、会費1500円のパーティ券を200枚ほど捌く。会場は新築なった健保会館大会議室を飾りつける。女性中心に料理を作る。日本酒4斗樽を中心にウイスキー・ビールもふんだん。ホテルの立食パーティを覗かせてもらって、すべて手作りだ。会場・料理、経費は500円分で賄う。残りの20万円は新婚ペアへの贈り物にする。ちょっとしたお宝である。なによりも、実行委員を中心に、パーティは開始する前から超盛り上がっていた。

結婚の神聖

 仲間のプロテスタント教会で挙式する。実行委員としては、牧師さんとの打ち合わせで大いに値切った。牧師さんもユーモアたっぷり、「神さんを値切ったらバチ当たりまっせ」。こちらは、ローソクは点火しないでよろしい、バージンロードの布も省略などと無茶をいう。手間取ったのは故郷から来る両親で、「うちは浄土真宗だ」「結婚式を会費制とはとんでもない」と文句を言うのをなだめて、なんとか実現にこぎつけた。挙式場から新婚ペアと両親がパーティ会場へやってきた。大きなドアを開けた瞬間、200人が盛大な拍手でお迎え。両親は破顔一笑、涙でくちゃくちゃ。乾杯が終わるや否や、興奮は絶好調で、延々4時間、語りかつ歌い、笑いかつ泣き、挙句、新郎は飲み疲れて轟沈、夕刻から出発する予定の新婚旅行を翌日に回すというハプニングもあった。カネがなければ知恵を出せ、というほどの手柄でもないが、いまも忘れない青春時代の大イベントである。

家の面目

 実行委員会での論議――入口の看板は、「山田太郎くん・岡本良子さん結婚披露パーティとする。ホテルでは、山田家・岡本家となっているが、家が結婚するのではない。結婚は当事者の合意に基づくものだ。という調子の会話が交わされた。結婚式・披露宴などに大きな負担をするべきではない。まして、実家に負担させるのはとんでもない。2人の出発を少しでも後押ししたい。ついでに、せっかくのパーティだから参加者全員が楽しめる内容にしよう。勤め人が、ホテルで挙式するようになるのは、70年代後半であるが、わたしは、この時ほど盛り上がったパーティの体験は1度もない。とりわけ思い出すのは、「好き合う2人が結婚する」という理屈が仲間の常識であり、家だとか、格式だとか、世間体などはまったく論外であった。わが国の民主主義的気風が強かった時代の記憶に重なる。それが消えたのは80年代のバブル期間である。民主主義はカネとともに去ったか。

個の尊重

 眞子さんと圭さんの騒動は、わたしの趣味に合わず、読みたくない記事であった。週刊誌やSNSで猟奇的視線にさらされたのもさることながら、そこそこオピニオンの人々が騒動を加速したと考えるのは、わたしだけだろうか。いたる所、「他人の幸せはわたしの不幸」という行き場のない怒りが感じられた。AさんとBさんが結婚したいのは、どこまでも2人のテーマである。皇室関係者だから、国民的合意と納得を必要とするという基線があるらしいが、人と人が好き合って一緒になりたいことは、人間として、1人ひとりの自由である。ついでに、一緒になってみたがどうも何かが違ったとして、解消することだってある。皇室関係者としての務めが、人間としての自由を奪うものではない。皇室関係者は神さまではないし、ロボットでもない。天皇制是非論の前に、「24時間天皇していられるか」ということも考えてみようではないか。このままでは、「幽閉者」みたいである。


奥井禮喜
有限会社ライフビジョン代表取締役 経営労働評論家、OnLineJournalライフビジョン発行人