論 考

オタマジャクシは蛙の子なんだけど

 P・ターチン(コネチカット大)は、高学歴社会でエリートの過剰生産が、エリート内での勝ち組・負け組を生み出す。エリートなのに自分にふさわしい仕事に就けない。そこでエリート内非エリートは不満の塊と化して、エスタブリッシュメント批判を掲げたトランプ支持に回る。トランプ支持は非エリートの白人ブルーワーカーだけではない。——まあ、そうだろう。

 エリートの過剰生産に着目したのが新しいといえば新しいが、エリートと非エリートの発生は、人間社会ができて以来の現象である。かつては年長者が社会的支配層としてあったが、それを排して以来、社会は根本的に競争をはらんだものになった。

 とくに米国におけるメリトクラシー(実力主義)は、1960年代前後におおいに論壇のテーマになった。頑張った者が報われるという多数が支持する言葉の意味は、それである。自分の能力・努力・業績に対する報いは当たり前だというのである。

 オタマジャクシ理論という例え話がある。――みんなやがては蛙になれると思うから幸せだが、蛙になれないとわかった老いたオタマジャクシはどんな気分になるか?――

 仕事に相対的価値の格差をつけるかぎり、上位の仕事ほどポストが少なく、それをめざす人の競争は激烈になる。勝つためにアンフェアな行為も発生しやすいし、敗北を喫したなら厳しく落ち込む可能性もある。

 ターチンの分析は、いつの時代も繰り返し発生する現象を指摘しただけだ。本当に面白いのは、そこから先だ。どうすりゃいいのか? を考えること