論 考

「IKIGAI」は日本の誇る精神文化だって

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 のっけから娘の自慢しているようで恐縮だが、先日、アメリカ・アトランタのプロバスケットチーム(NBA)ホークスのDJをしている二女が、アメリカの全国紙USAツデーのインターネット版に取り上げられた。

 そのメインの見出しは、直訳すると「NBAの3人の女性DJは、試合の日をはるかに超えて大きなインパクトを残している」とある。二女は7年前に同チームのチアダンサーに採用され、その後2年前から同じホークスのオフィシャルDJを務めている。目下、NBA30チームのうち女性DJはわずか3人で、二女はその先駆けとして、女性の社会進出推進にも大いに貢献しているということで記事に取り上げられたらしい。

 この記事で私が驚いたのは、次の見出しが「IKIGAI」とあり、本文が「生きがいとは、生の原動力となる個人的な目的を表す日本語のフレーズ。 それは、その人が何に情熱を注いでいるのか、何に熟練しているのか、どのように報酬を得るのか、そして世界が何を必要としているのかが交差するところにあります」で始まっていたことだ。

 後から二女に聞いてみると、DJの仕事が彼女にとって生きがいであり、またそれによって女性の社会進出を促すことに貢献出来たらうれしいといった趣旨の発言をしたという。それが「IKIGAI」などという見出しで、しかも本文はその説明から始まるとは、アメリカらしいというのか、変なスタイルの記事だなというのが、私の印象だった。

 ところがその数日後、朝日新聞の国際面を見て合点がいった。「地球の反対側のにほんご」という連載で「IKIGAI」が取り上げれ、「生きがい」という日本語は、世界でそのまま“IKIGAI”として広く使われるようになった」と書かれている。そこにはどう使われているかの事例も紹介されていた。

 その一つはブラジル北東部サルバドールでの経営コンサルタントの講演のシーン。「どんな小さなことでもよいのです。生きる意味を見つけてみて下さい。きっと、あなたの『生きがい』になるはずです」と聴衆に語り掛ける。この経営コンサルタントは2010年頃、空手を習っていた先生からこの言葉を教えられた。当時は「毎日を惰性で生きていた」のでこの言葉にピンとこなかったそうだ。

 しかし、その直後暴漢に撃たれて医師から7割の確率で助からないと言われたほどの重体となったが、「そんな中で『生きがい』の言葉を思い出した。死に直面するような体験をし、そこから生還したことで、生きる目的を持つことの重要性を実感した。『生きがい』を伝えることをライフワークにしようと決めた」という。「『生きがい』の概念はブラジルにないからこそ、一人でも多くの人に伝えることが大事だと思った」というコンサルタントの弁も記事には書かれている。

 またこの連載では、東京在住のスペイン人作家が2016年に出版した自己啓発本“IKIGAI”が米国など70カ国で、500万冊以上売れているとも紹介している。

 「IKIGAI」は今や世界で共有される精神文化になりつつあるようだ。「ぼーっといきてんじゃねえよ」と「チコちゃんに叱られる」というNHKのテレビ番組が人気を博する日本だが、ひょっとすると、「IKIGAI」は、日本が誇るべき精神文化の輸出と言えるかも知れない。

 それより何より、まずもって日本人自身がこの言葉の意味を噛みしめてみる必要がありそうだ。