論 考

ギャンブル解散か

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 岸田内閣支持率をみる。朝日26%、読売25%、毎日22%、不支持率は、朝日62%、読売66%、毎日74%である。

 岸田氏は訪米での歓待が好感度上昇に貢献すると期待していただろうが、ご本人が気持ちよい骨休みをした以外の効能はなかった。

 きびしくいえば、与党議員が民主主義国とは思えないような集団汚職をやってのけたのに、その頂点にある自分が責任をとらず、党内からも批判が出ているように、まるで他人事の対処である。

 3補欠選挙の目下の動向は、自民党の3連敗が確定しそうだ。28日に結果出れば、常識的には岸田氏の進退窮まったということになるが、「岸田の面に水」というべきか、たぶん、この人はケロリとしているにちがいない。

 そして岸田氏は、噂されている6月解散に打って出るだろう。もちろん、党内からあんたじゃ選挙は戦えないという声が出る。しかし、それに怯むようなナイーブさは持ち合わせない。

 「座して死を待つより死中に活を求めるのみ」というのが、その理由である。岸田氏は、歴史に残るような、いい政治をしようという志が感じられない。にもかかわらず、なにゆえ政権の座にこだわるのか。

 その答えは、政権の座にいたいからであり、さらにいえば、政権に居続けるためにじたばたするプロセス自体が本懐なのである。これは、ギャンブル依存症などの人が、だめなことはわかっているにもかかわらず、さらに大きな賭けに挑む心理と同じである。

 目的と手段がごちゃごちゃになって、とにかく、(客観的には)悪あがきでもなんでもやる。くりかえすが、岸田氏は立派な権力依存症である。

 もちろん、自民党総裁を狙った人で、権力依存症でなかった人はいなかっただろう。ただし、仕事をしたから、依存症が少し薄く見えた。ところが、岸田氏は仕事ができないから、なおさら依存症が突出してみえる。

 いずれにせよ、国民たる人々としては、可及的速やかに権力依存症の人物を排除しなければならない。それが民主主義の民というものである。