論 考

市民の良識

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 イスラエルが在シリアのイラン大使館を攻撃した報復として、イランが大規模な空爆をおこなった。直後イランはこの件はこれで終了と発表したが、イスラエルがさらなる報復攻撃をするのではないか。懸念が高まっている。

 イスラエルには、思い込みがある。つまり、「イスラエル対イランとは、西側対イランだ」という考えである。これはまことによろしくない。

 アメリカはじめ西側は、イスラエルに報復行動を起こさぬように説得活動を展開しているが、効果のほどはわからない。

 西側は、イスラエルがイラン大使館を攻撃したことを不問にしてきた。しかし、大使館攻撃をすることは国際法違反である。イスラエルは、大使館を攻撃したのではなく、テロ集団を攻撃したとのだ強弁するが、無理筋である。

 イスラエルがイラン大使館攻撃したことが、イランの報復を生んだのだから、西側がイスラエルを説得するには、その時点から話を起こさねばならない。ところが前述のような事情だから、説得力が弱い。イスラエルの思い込みをただすには至っていない。

 イランでは、イスラエルの報復を懸念して、市民がスーパーやガソリンスタンドへなだれ込んでいる。いまでも、すでにインフレ率は40%である。戦争ともなれば真っ先に生活が困窮することは火を見るよりも明らかだ。

 さらに、イランの人々は、イスラエルとの対立が宗教イデオロギーをまとった狂信的政府によって画策されていることを悟っている。そこで、「われわれ(市民)はイランだ。イスラム共和国ではない」とずばり問題の本質を指摘する人も出ている。イラン革命防衛隊(IRGC)が冒険主義に流れやすいことを批判する声もある。

 イスラエルでも、冷静にものごとを見ている市民が少なくない。彼らはガザの人々の人権が尊重されるべきだという。ネタニヤフ政権はパレスチナ侵攻の大義? があるから持ちこたえている。政権が冷静さを回復するときは、ネタニヤフが政権を手放すときだといっても過言ではない。

 イスラエルにせよ、イランにせよ、政府の見識は異常にみえる。自分が絶対正しいと立論すれば、それに従わない見識はすべて悪であり敵である。これでは出口がない。政権の命脈は常に奈落の底を眺めつつ継続するだけだ。

 なぜ、自分以外を悪とし敵とするのか。自分を正当化する論理そのものが脆弱で、異論や反論に対して柔軟に対応する能力がないからである。声低く静かに説得できる能力があれば、ことさら軍事力を構えて他国を威嚇するには及ばない。他者に対する許容力の少ない連中に権力を握らせてはダメだ。これこそ、こんにちの世界の市民が共通してかみ締めねばならない良識である。