論 考

顔を洗ってお帰りください

筆者 奥井禮喜(おくい・れいき)

 岸田氏の米国議会演説は上首尾だったはずである。ただし、演説の受けが良かったことが日本の人々にとって上等かどうか、おおいに疑問がある。

 むしろ、岸田氏が踏み込んだことによって、二国間関係としては米国からの無理な注文が増えることが懸念される。杞憂であれはよいが!

 岸田スピーチは米国人好みの、米国NO.1論に基づくヨイショが全体の調子であるから、スタンディングオベーションが十数回あっても不思議ではない。ヨイショが米国に対する約束になる。米国議員が喜べば喜ぶほど、スピーチが今後の日米関係を制約する面を心配する。

 2027年度までに防衛費をGDPの2%にするというのは、無国内ではまだ了解されていないが、米国ですでに決定したかのように語った。もちろん、相手は大喜びである。自衛隊と米軍の統制一体化を進めることも歓迎された。なにしろ対等関係における統制一体化推進ではないから、相手が喜ばなければバチが当たる。

 防衛論が牽引して、日本が米国との関係において、主体性をさらに弱体化させたということになると、日本の独立国としてのあり方が問題である。従来でも、米国に対して日本が主体性を発揮していたとはとても言えないからだ。

 まあ、主体性など失っても、大きな舵取りを米国にお任せすれば、日本としてはラク(?)かもしれない。米国は他国領土を直接手に入れようとはしないが、他国を意のままに動かすことが大好きである。だから、双方の利害が一致するということになる。果たして、こんなことでいいのだろうか。

 それにしても、米国議会における岸田氏の喜色満面、ご機嫌の表情を眺めると、なんとも不思議な気持ちがする。わが議会における人物と同じか、と言いたくなるくらいだ。昔流の表現をすれば、実家へ戻って羽を伸ばすということだ。岸田氏を冷遇して気の毒なことをしたと、わが議会人は反省せねばならないのだろうか。(蛇足ながら、これは皮肉に過ぎない)

 なによりも、岸田氏本人が、まるで表と裏の表情をしていることを痛感して、なにが問題なのか、じっくりお考えいただきたい。(のではあるが、たぶん、無理筋であろう)

 今回の訪米で、岸田氏は、対米従属を一段と加速させた。これは、日本人にとって喜ばしいとはいえない。

 日本の主体性論はもちろんだが、岸田氏お得意のグローバル面において、「世界の未来を守る」ことに通じるだろうか。従来、米国第一主義を貫徹するために、米国派と非米国派に区分し、あらゆる側面で差別政策を押し出してきた。大きくみれば、現在の世界情勢の混沌は、それが生み出したものと考えねばなるまい。

 ところが、岸田流はさらにそれを拡大推進しようとする。ウクライナ戦争も止められない、イスラエルのパレスチナ侵攻も止められない。「世界を守る」と大声疾呼しても現実がまったく伴わない。

 くどいようだが、岸田訪米は、岸田氏にとって華麗にして優雅な骨休みであったとしても、散財のツケはやがて日本の人々に押し付けられる。とても、読売新聞のように「世界に広がる多面的な『協働』」(4/12社説)と、麗しい表現をして安心するわけにはいかない。