論 考

相容れない法律と社会常識

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 訴訟、裁判は法に照らして厳密に運用、執行される。時に世間の常識から外れることがあり、悲劇、喜劇が生まれる。4月から始まったNHKの朝のドラマ「虎に翼」は、たまたま民法の講義で、「女性は無能力者」と盗み聞きし、「そんなはずはない」と抗議するところから将来女性初の弁護士となる主人公の法律人生が始まる。これは喜劇の方に属する。

 悲劇の方は、例えば袴田事件がその典型だ。事件発生から58年、死刑判決確定から44年。その後二度にわたる再審決定を受けて、いまなお裁判が進行している。報道によると、今年3月段階の裁判では、犯行現場近くのみそ樽から見つかった犯人が犯行時着ていたとされる着衣に付着していた血痕の「赤み」をめぐって検察、弁護人が対立している。

 この着衣は、事件後1年を経過、裁判が進行中に発見されたもので、それまでに、みそ樽は捜索されていたから、発見自体が不可解な出来事だった。しかし、それが有力な証拠として死刑判決につながった。

 この点に関し、弁護側は1年もみそ樽に漬かっていたら血痕の赤みは残らないとの鑑定書を提出し、再審の有力材料に使った。これに対し、検察はその鑑定書を否定する検察側の鑑定を持ち出して争っているのである。

 しかし、翻って見ると昨年3月の再審決定では、この着衣の存在について、高裁は逮捕後に捜査機関が投入した捏造の可能性に言及している。ところが、再審請求には新しい証拠が必要で、着衣の捏造を証明するのは時間も経過しており、出来ない相談だから、赤みが争点になっているのだ。だが、世間の常識から見ると、裁判所から捏造の可能性が高いとまで指摘された着衣の赤みを争うというのはどう見てもおかしいと言わざるを得ない。

 悲劇とも喜劇とも言えないのが、自民党安倍派の裏金事件だ。安倍派の幹部たちは、検察から事情聴取を受けたが、いずれも会計責任者のみで、幹部議員は立件されなかった。

 国会の政治倫理審査会では、検察の事情聴取は受けたが立件されなかったことを以て、われわれは白も白、清廉潔白と強弁を張った。政治資金規正法がザル法であり、議員という立場にも配慮して、軽微な違反だから立件しなかったというのが常識的な見方で、検察も彼らを白だと証明したわけではない。

 法律的に処罰できないと判断しただけである。それを「真っ白だ」と強弁されたのでは、世間は納得しない。ましてやその金の存在すら知らなかったなどとしらを切られては身も蓋もない。自ら離党などの身の処し方もあっただろうに、党紀委員会で処分を受ける羽目になってしまった。そうでもないと、首相、自民党総裁としては決着がつかない、幕引きができないと判断したのだろう。

 もっとも党紀委員会の方は、訴訟、裁判と違って厳密ではなく、処分もあわただしく、根拠の薄い、身びいきの処分となり、まだまだ狙い通りの幕引きとはならないようである。

 もう一つ最近の話題の裁判は、文春から女性問題を暴かれたダウンタウン松本人志をめぐる裁判だ。松本は、この問題で強制的な性的関係ではなかったと、文春記事の名誉棄損を訴えている。

 しかし、例え、裁判の結果、強制的ではなかったと証明できても、お笑い界のリーダーとして、後輩などに各地でアテンドパーティを開かせていたこと自体、アウトであるというのが、社会的常識ではないだろうか。

 これは個人的な不祥事ではなく、組織を利用して行われた不祥事と言えよう。彼の所属する企業はなぜそうした組織的な不祥事や訴訟を黙認しているのか、企業としての姿勢が問われる。

 こうした企業に依存して運営されている放送業界は、大いに反省と熟慮が必要ではないのか。このままでは、ジャニーズ問題同様、芸能界の膿を取り除くことができないのではないか。