論 考

われわれはどう生きるか

筆者 渡邊隆之(わたなべ・たかゆき)

 数年前、吉野源三郎氏の『君たちはどう生きるか』が同名の宮崎駿作品とともにまたまた話題になり、文庫のほか漫画でも多くの人に読まれた。その本を読んだかはひとまず置いて、われわれは今後どう生きるか、筆者なりにあれこれ思案してみた。

 わが国のGDPが2023年にドイツに抜かれ、世界第4位に後退した。今後ますます順位は低下し世界への日本経済のプレゼンスは小さくなっていく。基幹産業の自動車業界は円安を背景に利益が積み上がっているが、国内向けの産業や消費者は円安・物価高・人手不足に伴う人件費高騰・消費税や社会保険料の上昇等で可処分所得が減り、格差が拡大している。中小企業の倒産・廃業は今後増加すると予測されている。

 50年前から少子化は進んでいるが、大学数は50年前の2倍で約800校程度。うち200校程度が定員割れを起こしている。しかも学費も高騰している。国内の大企業に就職するためには「大卒」が都合よく、職業に直接役に立つかはともかく偏差値の高い学校への入学を目指して義務教育のほか塾にも通わせるご家庭が多いようである。

 「学歴」社会。確かに難関大学卒であれば日本では一応給料の高い会社に就職できるかもしれない。しかし、外部環境が著しく変化している状況を考えれば、いつリストラに遭うかもわからず、安住は必ずしも保障されない。行き過ぎた「学歴」社会の問題は中国や韓国で顕著で、卒業とともに失業あるいは就職困難という事態も生じている。

 よく学生から「社会に出て使わない公式をどうして覚えるのか」という質問が出る。もちろん、社会に出て自分の想像しなかった仕事に就くこともあり、その中で基礎知識として使えるかもしれないから、覚えておいたほうがよろしいとの回答はできる。しかし、多くの学生が学生時分に勉強するのは専ら入試対策として使う膨大な量の暗記で、試験時をピークにどんどん忘れ去られてしまう。

 もちろん、暗記重視の日本の教育システムを全面的に否定するわけでもない。読み・書き・計算はできるようになるし、基本的な知識は習得できる。大きい組織では上意下達をやりやすい。人口増加の時期では今までのやり方だけでもよかったのかもしれない。しかし、現在は人口減少の段階に入っている。また、人工知能やロボットによる効率化が図られており、勤勉さ・正確性・迅速性で人間は勝ち目がない。

 そこで教育面でも暗記のみならずほかに何をすればよいのだろうか。それは自分の好奇心と他人への優しさを失わず「思考と実践」を繰り返すことではないかと筆者は考える。

 「好奇心」。「努力は裏切らない」と言う。成功した人は確かに努力をしている。しかし、努力したからといって必ずしも予期した結果が伴わない。「継続は力なり」というが「好奇心」がなければ努力は続かない。「好奇心」があれば深く掘り下げて考え工夫もする。一歩前進することができる。

 「他人への優しさ」。どうしたら問題を解決できるか観察し、思考し、解決方法を実践する。ただし一方的な自己犠牲は駄目だ。継続できないからである。回りまわってその恩恵は社会インフラがよくなるなどの形で自分に返ってくる。

 「思考停止」。これが失われた30年の正体のように感じる。政府も経済界もそして一般国民についてもいえる。いくら人工知能やロボットが優秀だとしてもインプットデータがなければスムーズに動かない。たくさんの、趣味嗜好の違う生身の人間がいることはインプットデータをよりよく更新する上で大変な強みになる。それぞれが好奇心のある事柄について深掘りし、足りない分野をそれぞれ共有し助け合うことで不可能が可能になる。

 そのためには「これがしたい」という希望と「これで困っている」という悩みをさらけ出すことが大事だ。日本人は勤勉が美徳で、現場で諸問題をなんとかやりくりしてきた。しかしこれからは当分の間は労働人口も減る。不平不満を政府や経営者にぶちまけるチャンスであるとともに、各自が主体的に思考と実践を繰り返せるチャンスであるように思える。

 少子化対策として大学までの教育費無償化も議論の俎上に上がっているようだが、有益な情報は大学に行かなくとも入手できる。建築家の安藤忠雄氏は大学受験に失敗した後、貯めたお金で世界各地の建築物を見て回り、建築界に多大な功績を残している。古人の書籍やyoutubeなど情報源は無限にある。

 一生なんてあっという間に終わる。この一瞬一瞬を思い切り駆け抜けていきたい。われわれ=自分らしく。