論 考

日本の労働運動の未来に向けた思索

筆者 新妻 健治(にいづま けんじ)

 20世紀前半、社会主義か資本主義かの政治的対立は、20世紀後半に分配をめぐる政治へと転回した。社会主義は、漸進的改革を標榜する社会民主主義に変貌し、北欧および欧州先進国のいくつかは、「福祉国家」建設へと邁進した。しかし、日本はいまだに資本優先の国家運営の枠組みを出ず、多くの社会課題を抱えている。「なぜ、そうなのか?」これを明らかにし、私は、次代を創造する労働組合運動に活かしたい。

はじめに
 2015年、ユニオンアカデミー(ライフビジョン主宰)の日中労働組合シンポジウム(中国・北京市)において、「日本の組合運動の過去・現在・そして未来への提言」というプレゼンテーションをさせていただいた。労働組合運動に携わり、これからの運動に信念(おもい)を致す私にとって、これは、かけがえのない機会であった。この機会を授けていただいた、奥井禮喜先生に心からの感謝を申し上げたい。
 それ以来、当時の論考の大いなる不完全さを補うべく、思索を重ねてきた。

福祉国家について
 歴史を俯瞰すれば、資本主義経済の発展において、人びとは、資本の蓄積手段として伝統的共同体から切り離され、労働力とされた。そのことにより、人びとは、伝統的共同体という生活基盤を失い、自らの労働能力を「商品」として売ることによってのみ生活手段を調達し得る労働者となった。
 この労働者が、何らかの事情により、労働能力を売ることができず、生活手段を失った場合、伝統的共同体における福祉機能を期待することができなくなる。よって国家に、この人びとの生活権を保障する必要が生まれる。この生活権の保障が、救貧段階を超えて確立され、国民の福祉増進を最優先して制度化する国家を「福祉国家」という。
 私はさらに、「福祉国家」とは、人間の尊厳の確立を至上とし、人間それぞれが、自らの人格の完成を可能とする社会・経済システムを基礎とする国家体制であるべきだと考える。

社会主義からの社会民主主義へ
 社会主義とは、資本主義が人びとにもたらす弊害を、資本主義社会を変革することで、より平等で公正な社会を目指すという思想である。しかし、その思想は、階級闘争による革命という理論の具体化において、その非現実性および問題性により、議会主義を通じた穏健で漸進的な社会改革を標榜する社会民主主義へと変貌する。
 第二次世界大戦後の資本主義の繁栄期、北欧および欧州先進国のいくつかは、社会民主主義の要請を資本蓄積のメカニズムに回収するという、労資和解体制が成立し、それぞれの「福祉国家」の建設へと邁進することになる。

敗戦後の日本の進路
 しかし、敗戦後の日本は、今日に至るまで、私の定義による福祉国家はさておいても、一般的な定義としての「福祉国家」の路線すらも、歩んで来ることはなかった。
 例えば、北欧における高度な「福祉国家」の建設は、社会民主主義を標榜する強力な労働組合の団結による労働権力が形成され、資源動員が階級間連携による階級交差連合(スウェーデンでは、まず、農民と労働組合=「赤と緑の連合」が形成された。)として図られ、それにより政権を奪取し、安定して持続性のある親労働政権の確立によるものであった。*1 
 しかし、日本においては、親労働政権どころか、労働権力の形成もできなかった。その結果、日本は、「経済成長至上主義」「企業本位主義」「生産第一主義」の路線が主流となり、「残滓型福祉国家」*2 を形成することになる。
「残滓型」とは、日本の社会保障が、まず企業福祉が先行し、それを公的補助や税制優遇措置で支え、企業福祉を疎外しない形で発展させたものであることを指す。この体制は、極めて例外的な高度経済成長を経て、その後の経済の規模拡大とともに、より堅固な仕組みとして構築されていく。
 この体制は、70年代初頭の世界的経済危機は乗り切れたものの、日本バブル崩壊、経済のグローバル化による経済の減速・停滞、および、この間の大きな社会変化(家族構成の変化、高齢化率の高まり、人口減少、非正規労働者の極大化等)により、その帰結として機能不全に陥り、「貧困・格差・社会的分断」等、私たちに深刻な社会課題を突き付けている。

叶わなかった労働権力形成と親労働政権樹立 
 それでは、なぜ日本では親労働政権はもとより、その前提となる労働権力の形成もできなかったのだろうか。
 敗戦後、GHQの民主化政策により、思想弾圧は解消された。そのようななか、社会主義を標榜する「社会党・総評ブロック」は、国民の願望である「貧困からの脱却」「恒久平和の実現」「基本的人権にもとづく社会保障の実現」を訴求し、労働運動を中核として社会を巻き込みながら運動を展開し、一時の隆盛を誇る。
本来であれば、この勢力が「福祉国家」建設の先頭に立つべきではなかったのだろうか。しかし、その勢力が内包する「理想主義―社会主義革命」と「理想的現実主義―直面する社会課題への対応」という「二重性」*3 から、政党も労働組合も左右分立することになる。
 社会党は、左右勢力が分裂し、その結果、社会民主主義よりも、より現実路線の民主社会主義を標榜する民主社会党(民社党)が結成された。労働組合は、民間企業労組を中心に、全日本労働総同盟(同盟)が結成され、民社党の支持基盤となり、社会党支持の総評と対抗することになる。
 敗戦後の「社会党・総評ブロック」の頑ななまでの「理想主義」による路線は、極めて強い忌避感・嫌悪感・危機感を社会各所にもたらし、総じて強力な反作用を生み出した。この強力な反作用により、政党および労働組合の左右分立が引き起こされた。
私見だが、強力な反作用の帰結として、左右の懸隔は大きくなり、民社党は、自民党の政権維持のためのご都合主義的な社会民主主義的な政策に回収され、同盟系労組以外の支持基盤を拡大できずに終わる。
 方や、同盟系の労働組合は、企業主義化することとなった。企業主義化した労働組合とは、労働者の要請を、労働権力形成によって政治的に実現することよりも、日本経済の発展と自分たちの産業および企業の持続可能性を旨として、主に労使交渉により実現しようとする傾向にある。当該の企業は、政府の労働行政の後押しを受け、労使協調を梃子に、企業福祉の充実などの施策により従業員の企業への忠誠心を醸成した。このような性質は、民主化の名のもとに結成された第二組合結成の経緯や、同盟系をも忌避する経営側の意向を酌んで結成された極めて多くの労働組合に、色濃く表れている。
 社会党は、右派を切り離すことにより、現実的な社会民主主義体制への転換の核ないし契機を失い、その後の長期的衰退を余儀なくされる。総評を中心とする左派の労働組合は、反作用として、国家体制の安定を至上命題とする「保守統治連合(国家・資本・官僚)」*1 の徹底的な抗戦に見舞われ(前掲の労働行政の姿勢もその一つ)、以降、やはり衰退を余儀なくされていく。加えて、同盟系の労働組合は、労働権力形成に向かうどころか、基幹産業労働組合(JC)を先頭に、保守統治連合へ近接し、敗戦後の労資和解体制を形成(逆流)してしまう。
 本来であれば、「福祉国家」の構築に向けて、労働組合は、労働権力の形成を図り、かつ、階級間交差連合を形成して資源動員を図り、政権奪取による、安定的で持続的な親労働政権樹立の戦略に邁進すべきであったが、日本の社会民主主義は左右の狭間に埋没し、前述の経過から、幻に終わった。

敗戦後の労働運動の総括の必要性
 1989年、左右労働戦線統一による日本労働組合総連合会(連合)が結成されたはずであった。しかしそれは、前述した敗戦後の労資和解体制の終焉を意味したようだ。
労使和解体制における日本的労使慣行は、経済のグローバル化による日本経済の危機からの新自由主義というイデオロギーに、急激に取り組崩され反故にされる事態を生み出すことになる。その力に、連合が抗えない事態は、資本主義がもたらす危機に抗い、社会主義革命の挫折から「福祉国家」にまで至る社会変革の主体となった労働組合という人類の叡智と、その運動の歴史的業績を、踏みにじるとまでは言えないかもしれないが、抗える可能性を否定できないだけに、残念至極というしかない。
 政党および労働組合における、「理想主義―社会主義革命」と「理想的現実主義―直面する社会課題への対応」という「二重性」は、なぜ、解消されなかったのだろうか。また、社会主義に端を発する労働組合が、右派として分立したとはいえ、右派労働が企業主義化したことは、左派の運動路線に対する強力は反作用を主要因だと私は述べたが、労資連携や保守統治連合への近接にまで至ってしまったのは、なぜなのだろうか。
 政党も労働組合も、思想やそれにもとづく路線の相違から分立することはあるのだろうが、現実的に労働者・国民にとって、より望ましい路線に糾合することが、なぜできなかったのだろうか。
いずれ、このような論点における考察からの総括点が、日本の労働運動の現在地という起点として、そして「次代の社会の構想と、実現のための労働(組合)運動の創造」における終点と、そこまでの運動という経路における、実践すべき哲学を明らかにするだろうと、私は考える。
 このことは、引き続き、私自身が追い求めたいテーマでもあるが、「民主主義という基盤(脆弱さ)」「人間の生き方としての哲学(希薄さ)」「知性とその築き方(稚拙さ)」といった論点が、今は浮かび上がる。

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<参考文献>
注 「敗戦後の労働運動の総括の必要性」の手前までは、私見も含むが、以下の参考文献によって提供された見解と、筆者の提起する重要な論旨を踏まえた翻案的な記述の枠を出ないことを、お断りしておく。
*1 『幻視のなかの社会民主主義~戦後日本政治と社会民主主義』、新川敏光、法律文化社、2007年
*2 『日本型福祉の政治経済学』、新川敏光、三一書房、1993年
*3 『戦後革新の墓碑銘』高木郁朗、中北浩爾編、旬報社、2021年