筆者 POOHさん(たじま・かずお)
先日、群馬県内の著名な画家たちの展覧会を鑑賞した。出品者は多摩美大学院卒、東京藝大大学院卒といったプロフィールで、有名公募団体の審査員などの肩書をもっており、群馬県美術会の役員もされている。
もちろんどの作品もしっかりとした技法で表現されており、キャプションには相応の価格も表示されている。しかし何故か私にはしっくりこなかった。
その理由をずっと考えているが、おそらくどの方も若い頃にアカデミックな場で修練を重ねた結果、絵を描く人間としての個性が薄められてしまったのではないかという仮説を思いついた。
昨年100歳を超えて亡くなった野見山暁治という画家がいる。この人が芸大教授時代に入学試験の石膏デッサンを無くしたという話がある。
大学入試のために石膏デッサンばかりに明け暮れる受験生の「個性」が見えなくなっているというのである。
私がしっくりこないのは面白みが感じられないからであり、そこに「個性」を見つけ出せないからではないだろうか。「個性」というのは社会で揉まれながら磨かれるのではないかと思う。